| 聞き手 |
お二人はお友達と言うか... |
| 米朝 |
ええ、もう、いたって心安う...(笑) |
| 綱大夫 |
あんまり心安う過ぎて、今日何の話したらええや(笑) |
| 聞き手 |
おじい様が竹本源大夫、お父様が三味線で鶴澤藤蔵。で息子さんも三味線弾いてらして、今度お孫さんが太夫になられるかもしれない。 |
| 米朝 |
一代変わりでんな。 |
| 綱大夫 |
こんなん珍しい。 |
| 米朝 |
そうでんな。けどね、これだけ続いてる家も珍しいや。 |
| 綱大夫 |
そうですな。 |
| 聞き手 |
お母さんの方も文楽の関係ですものね。 |
| 綱大夫 |
母は七代目源大夫の娘ですから。で、父の叔父が(十代目)豊竹若大夫。だから文楽の血は濃い(笑) |
| 米朝 |
ご先祖を辿っていくとみんな大きな名前でね。 |
| 聞き手 |
太夫になるべくしてなられたんですよね、そうでもないんですか? |
| 綱大夫 |
私は太夫より歌舞伎の役者さんになりたかった。5つぐらいの時代から十五代目市村羽左衛門さんを見せてもろうて... |
| 米朝 |
さわやかなね。 |
| 綱大夫 |
初めて見せてもらったのが布引滝の「実盛(物語)」を。最後になりますと子役が出てね、「こんな人と一緒に芝居が出来てええなぁ〜」 |
| 米朝 |
そりゃ、浄瑠璃よりね、あっちの方がええかっこに(笑) |
| 綱大夫 |
ええかっこに見えましたんでね、「役者にしてくれ」と言ったら父が「お役者さんという者は家柄というものが無いとあかんのや、一生馬の足でも良かったらしてやる」(笑)と言われたのを今でも覚えております。 |
| 米朝 |
はぁ〜、なるほどな。あっちの方はまた大変やからな。いや、文楽ももちろん大変ですけどね。 |
| 聞き手 |
それで役者の道は諦められて、すぐに太夫というわけでもなかったんですね。 |
| 綱大夫 |
その時分は戦争もね、だんだんだんだん(酷くなる一方)...。ですのでもう小学校を卒業して、大阪府立航空工業学校... |
| 米朝 |
飛行機乗りに... |
| 綱大夫 |
飛行機こしらえる方です。そこの精密機械科へ。もうちょっとで南方へやられる所でした。終戦になりましたんでね。 |
| 聞き手 |
でもお三味線弾きになるというお気持ちは無かったんですか? |
| 綱大夫 |
これはうちの父が三味線弾きでしたから、もう12〜3(歳)では骨が(固まってしまって)あかんと。6歳の6月の6日からという教えではないですけど、そのくらいからやらんと... |
| 聞き手 |
今の国立の研修制度なんて、お父さんにとったらとんでもない制度ですね(笑) |
| 米朝 |
もうあかんと言われる。そんな年から始めたらあかんと... |
| 聞き手 |
ということはお父様は文楽の世界にお入りになることは快く思っていらっしゃらなかった(笑) |
| 綱大夫 |
もっと他の日の目の当たる仕事をやってくれればと(笑)聞く所によると外交官にさしたかったみたいです。 |
| 聞き手 |
どうやって説得されたんですか? |
| 綱大夫 |
終戦のどさくさまぎれですから(笑)学校行っても勉強も何もしてないから、こんなことで大事な時間を費やすことは耐えられへんから、どうしたらいいか...そういうふうに持ちかけていきました。それやったら家の芸をということで...。そのかわり条件がありまして、「よそに預けて3年やれ。ええか悪いかわしが決めるからその時に“辞めろ”と言えばちゃんと辞めろよ」 |
| 米朝 |
よそに預けられた? |
| 綱大夫 |
まぁ自分では、太夫になるんやったら八代目綱大夫がおりますから。で、生田、尾崎、本名でね(呼び合うほど先代綱大夫と父・藤蔵は仲が良かった)。一緒に野球したりね。弱い弱い文楽の野球チームで(笑) |
| 米朝 |
あのね、勝ったことが無いというチームがあると。噺家の方にも野球チームが出来たんですよ。でそことやってうちは負けましたけど(笑) |