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スペース 4月1日第49回
〜今週のよもやま噺は、文楽太夫の第一人者、竹本綱大夫さんをお迎えしました。〜
聞き手  お二人はお友達と言うか...
米朝  ええ、もう、いたって心安う...(笑)
綱大夫  あんまり心安う過ぎて、今日何の話したらええや(笑)
聞き手  おじい様が竹本源大夫、お父様が三味線で鶴澤藤蔵。で息子さんも三味線弾いてらして、今度お孫さんが太夫になられるかもしれない。
米朝  一代変わりでんな。
綱大夫  こんなん珍しい。
米朝  そうでんな。けどね、これだけ続いてる家も珍しいや。
綱大夫  そうですな。
聞き手  お母さんの方も文楽の関係ですものね。
綱大夫  母は七代目源大夫の娘ですから。で、父の叔父が(十代目)豊竹若大夫。だから文楽の血は濃い(笑)
米朝  ご先祖を辿っていくとみんな大きな名前でね。
聞き手  太夫になるべくしてなられたんですよね、そうでもないんですか?
綱大夫  私は太夫より歌舞伎の役者さんになりたかった。5つぐらいの時代から十五代目市村羽左衛門さんを見せてもろうて...
米朝  さわやかなね。
綱大夫  初めて見せてもらったのが布引滝の「実盛(物語)」を。最後になりますと子役が出てね、「こんな人と一緒に芝居が出来てええなぁ〜」
米朝  そりゃ、浄瑠璃よりね、あっちの方がええかっこに(笑)
綱大夫  ええかっこに見えましたんでね、「役者にしてくれ」と言ったら父が「お役者さんという者は家柄というものが無いとあかんのや、一生馬の足でも良かったらしてやる」(笑)と言われたのを今でも覚えております。
米朝  はぁ〜、なるほどな。あっちの方はまた大変やからな。いや、文楽ももちろん大変ですけどね。
聞き手  それで役者の道は諦められて、すぐに太夫というわけでもなかったんですね。
綱大夫  その時分は戦争もね、だんだんだんだん(酷くなる一方)...。ですのでもう小学校を卒業して、大阪府立航空工業学校...
米朝  飛行機乗りに...
綱大夫  飛行機こしらえる方です。そこの精密機械科へ。もうちょっとで南方へやられる所でした。終戦になりましたんでね。
聞き手  でもお三味線弾きになるというお気持ちは無かったんですか?
綱大夫  これはうちの父が三味線弾きでしたから、もう12〜3(歳)では骨が(固まってしまって)あかんと。6歳の6月の6日からという教えではないですけど、そのくらいからやらんと...
聞き手  今の国立の研修制度なんて、お父さんにとったらとんでもない制度ですね(笑)
米朝  もうあかんと言われる。そんな年から始めたらあかんと...
聞き手  ということはお父様は文楽の世界にお入りになることは快く思っていらっしゃらなかった(笑)
綱大夫  もっと他の日の目の当たる仕事をやってくれればと(笑)聞く所によると外交官にさしたかったみたいです。
聞き手  どうやって説得されたんですか?
綱大夫  終戦のどさくさまぎれですから(笑)学校行っても勉強も何もしてないから、こんなことで大事な時間を費やすことは耐えられへんから、どうしたらいいか...そういうふうに持ちかけていきました。それやったら家の芸をということで...。そのかわり条件がありまして、「よそに預けて3年やれ。ええか悪いかわしが決めるからその時に“辞めろ”と言えばちゃんと辞めろよ」
米朝  よそに預けられた?
綱大夫  まぁ自分では、太夫になるんやったら八代目綱大夫がおりますから。で、生田、尾崎、本名でね(呼び合うほど先代綱大夫と父・藤蔵は仲が良かった)。一緒に野球したりね。弱い弱い文楽の野球チームで(笑)
米朝  あのね、勝ったことが無いというチームがあると。噺家の方にも野球チームが出来たんですよ。でそことやってうちは負けましたけど(笑)

聞き手  その当時、四ツ橋の文楽座は再興されていたんですか?
綱大夫  まだです。私が昭和20年に太夫になるということを決めて、昭和21年の4月1日に入門ということですけど、その頃に松竹さんも文楽座を一番先に建てるという...。ええ劇場でしたなぁ〜。屋根は焼け落ちてあれしません。外はトタンで雨が降ったらパラパラパラパラ(笑)
聞き手  四ツ橋のどの辺にあったんですか?
綱大夫  鰻谷の筋。御堂筋を西へ渡りまして、四ツ橋がすぐ見えたとこです。劇場から長堀川が見えました。
聞き手  お客さんはどのくらい入ったんですか?
綱大夫  500(人)ぐらい
米朝  マイクなんかなしで、太夫さんの声がよう聞こえましたよ。
聞き手  古靭大夫(後の山城少掾)がいらっしゃって、他に...
綱大夫  四代目の竹本住大夫、相生大夫、若大夫、織大夫...
米朝  人形も古いお方がいらっしゃいましたな。
綱大夫  (吉田)玉助さんなんかはね。
聞き手  (吉田)文五郎さんはお年召してらしたので、(晩年)全段はお遣いにならなかった。
綱大夫  そうでしたな。
米朝  変わりの人が、ツゥと...
聞き手  人形遣いに人形遣いがいると、よく米朝師匠が仰っていましたが。
綱大夫  巡業なんか行きますとね、『文五郎来る』なんてね。三巨頭、山城師匠(豊竹山城少掾)と清六師匠(四代目鶴澤清六)と文五郎さんが...。舞台の上に高い椅子を置いて、そこに文五郎さんが座ってはるだけで、他の人が人形遣うてはるんです。で、ご機嫌のええときは(人形を)持ってね。持ちはったらえらいもんで、人形さんの顔がきれいなんです。他の人が持ちはるのとは違いましたな。

聞き手  その当時お給金はどのくらいもらえてたんですか?
綱大夫  一払いと言いますと15日間ですので、50円でした。
聞き手  それで生活は...
綱大夫  私はまだ子供で、親掛かりですしね。
聞き手  外から見てるのと、お入りになったのと全然違いましたか?
綱大夫  全然違いました。ええとこばっかり見てたわけですわね。おじいさんにしろ、父にしろね。ま、祖父の舞台は私知りませんのやけれど、話に聞いてたました。父はその当時「清二郎はん、清二郎はん(前名・鶴澤清二郎)」とようモテましてね、なかなか家に帰ってきいへん(笑)
聞き手  (笑)
米朝  (笑)京都よう行ってはりましたな。
聞き手  入門されると、どういう修行をされましたか?
綱大夫  食料(事情)のこともあるので、通いでしたね。朝飯は家で頂くんですけど、お昼は(あちらで)頂いて...。朝行きましたら風呂の薪割りからさせられて...。師匠も家がなかったんでお弟子さんの別荘みたいな所にいました。辞められたらいかんという頭もあったんでしょうね(笑)稽古もちゃんとしてくれました。その時分私一人でしたのでね、後から私、幸せやったなと思うて。あんなに丁寧な稽古をね。
米朝  はじめはどんな出し物から?
綱大夫  私は「一谷嫩軍記」の「組打ち(の段)」から。登場人物が4人ぐらいしか出えしませんし、時間的にも40分ぐらいのもんですからね。それからだんだんと難しなって来まして、10代からやっとかなということで、近松ものを。「冥途の飛脚」の淡路町で忠兵衛の家ですな、これは頭抱えるほど難しかった。
米朝  そうでっしゃろうな。
綱大夫  これも近松ものですけど、「輝虎配膳」というね...
米朝  信州川中島...
綱大夫  上杉謙信に山本勘助はこういう人物やと言う「天命を楽しみ」(という箇所...)を違う、違うとやられまして、15〜6(歳)でそんなこと考えたら苦労はせんわと(笑)思うてたら、私が帰るなりおかみさん(師匠の奥さん)にね、「睨みつけて帰りおった、あいつ」言うて(笑)ま、口先だけではあかんという...ね。
米朝  え〜、や、まぁ〜難しい...。言葉の意味もなかなか...
綱大夫  私、落語も勉強のために聞かせてもらいますけど、忠兵衛の台詞、八右衛門に言い訳する所なんかはね、長いですし、息の継ぎ方もありますし...。
米朝  その時、三味線も入ってるんですか?
綱大夫  いえ、師匠は口三味線がね、もう三味線弾きさんよりも確かで。ご自分は三味線よう弾きはれしませんので...。
聞き手  お稽古する時にはちょっと覚えてから、それとも師匠が前で語られてすぐにやられるんですか?
綱大夫  3日間聴いて4日目は口あげと言うて、声を出してやるわけですね。で、「3日しか聴かさへんで」とはじめはそうでしたけど、ちょっと難しいというのは「もう1日聴かしてやるわ」と。その時のね、聞き方がね、体全部を耳にしてね、違うんですね。で、家帰って音も何にも無いわけで、本を見て自分で素語りでやって、やって、やって、やり込んで、師匠の前に座って...。初日はよろしいんですわ。手取り足取りですわ。2日目行って、(師匠が)黙ってしまわはりますと、にっちもさっちもね...。あの稽古をせなんだら私は嘘やと思いますな。
聞き手  今はそういう稽古されてるんですか?
綱大夫  してる人もありますけども。私も厳しい方らしいですけども。だから弟子辞めてしもうたりしましたけれど...
聞き手  (笑)自分のお師匠さんだけに習うんでなくて、お願いに行けば誰にでも教えてもらえるんですか?
米朝  こっちが熱心に食い下がったら教えてくれはるんですな。
綱大夫  そうですね。
聞き手  やっぱりそういうもんですね。
米朝  そういうもんです、そういうもんです。習うもんの態度やね。その気持ちやな。
綱大夫  歌舞伎の役者さんでも話に聞くと、何度も通ってお願いしますと言って、やっとね...。
聞き手  漫才でしたっけ、先代の綱大夫師匠が「これは喜左衛門師匠(先代野澤喜左衛門・三味線)の所に習いにいけ」とその件りが面白いもんやなと思いました。
綱大夫  その時は労働組合問題がありましてね、喜左衛門師匠は「三和会」のほうで、私は「因会」で、「うちみたいなとこに稽古にこんかて、あんたええお師匠はん持っててからに」言うてね、それから始まるわけですわ(笑)
米朝  皮肉を一通り(笑)
綱大夫  もうね、根性悪ですさかいね。でもね稽古してやる言うたら、5時間ぐらいやられましたですな。急に私の稽古が決まったもんですから、お素人の方が稽古に来て、次の間で満員ですねん。「なんや」言うて。私済んでから、あやまりましたけども。
米朝  いや〜、素人でも厳しいさかいな。

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