| 聞き手 |
米團治というお名前の系統の一番最初は? |
| 米朝 |
(二代目)文團治ですよ。文治から文團治。文治が東京に行ってしもうたのでね、文團治という名前にした。「桂文治は噺家で」と言う幕末の尻取り歌がありますわな、あの時がもう江戸時代ですわ。で何とか文治という名前を取り戻したいというので何とかね。で東京の文治さんが、前の文治の甥が「次の文治はわしや」と言うてるから一代限りで返してくれと。それが根岸の文治さんで私も知ってる顔の細長い文治さんですわ。それが「『桂文治は噺家で』と歌われた文治の次の文治です」と言うてね、(名前が)大阪に行ってることを認めよらなんと(笑) |
| 聞き手 |
でもあちらは「祇園祭」というネタをお得意にして...。師匠が噺家になった時には上方落語は終わるんやないかと言う時代でしたが、明治時代は桂派と三友派が対抗するぐらい... |
| 米朝 |
沢山噺家がおったんですね。三友派だけでなくもっと分かれてて、それぞれの噺家で腕のあるやつは頭領みたいな顔していってた...。ま、それは皆続きませなんだけどね。結構勢力があったんですな。 |
| 聞き手 |
今から想像出来ないぐらい噺家の数も多かった... |
| 米朝 |
100人どころやないんです。でまた、地方へ売れたんやな。田舎回りの興行も、やっぱり中心にちょっと噺家の看板どころが入ってたらしい。そのうちに漫才の方がどんどん人気が出て来てね、そうするとこっち(大阪)はあっさり切り替えますからな。吉本なんかでも「こりゃ漫才の方が銭になるな」と思うたらすぐ漫才に力入れて。噺家でちょっと器用で売れへんなという奴は「漫才になれ、漫才になれ。月給上げたるから」というよな。噺家から漫才に転向したちょっと看板の人と言うたら、(ぼやき漫才の)都家文雄さんとか、(芦乃家)雁玉さんもそうやったんですよ。 |
| 聞き手 |
後僕らが知ってるのは三遊亭小円さん、師匠は二丁鼓の円子さんですね。昔、米朝師匠がやっていた「和朗亭」という番組で噺をやった後に漫才をね。 |
| 米朝 |
踊り踊ったりしてましたけどね。「私は師匠が東京落語やさかい、噺やネタは何にも教わってまへん」と言うてはったです。 |
| 聞き手 |
あ、小円さんも。 |
| 米朝 |
円子さんからはね。鼓打つのもね、あれもなかなか起用なもんでね。二丁鼓で手叩かしてね、その後「ステテコ」踊るんですわ。高座が延びてしょうがないんや(笑)トリやなんて言うときは安心して長々とやる。 |
| 聞き手 |
後がないですからね(笑) |
| 米朝 |
でもあの人はたっぷりやらんと気が済まん。そんでね、鼓が終わった所で緞帳「お時間」言うて降ろしてしまった... |
| 聞き手 |
(笑) |
| 米朝 |
そんならその前飛び出してステテコ踊ったという... |
| 聞き手 |
そんな方だったんですか。三遊亭円子という方は。しかし「円子」という字は... |
| 米朝 |
それは子役のときの名前やと思うねん。「子」というのは案外ある名前でね、子役の時につけるんですけどね、それで売れたら大きいなってもその名前でいってしまうんやな。 |
| 聞き手 |
昔、(二代目桂)三木助師匠が「手遊(おもちゃ)」とかね。「べかこ」なんかも子供の名前ですか? |
| 米朝 |
「べかこ」も子供の名前でしょう。三代目(桂)米團治というお方は「米歌子(べかこ)」から「米之助」になって「米朝」になって「米團治」になった人ですね。 |
| 聞き手 |
それが出世名な訳ですね。 |
| 米朝 |
順番ですな。 |
| 聞き手 |
「べっかんこ」というのは「あかんべぇ」のことやと聞いてましたが、線香屋さんの窓のことを「ベッカコ窓」と言うて通気口になってまして、閉じたり横に開いたりすることが出来ると。アッカンベェもそんな感じですものね。 |
| 米朝 |
なるほどね、そこら皆関連してまっしゃろな。 |
| 聞き手 |
今この番組、東京の方にもお聞き頂いていますが、「べかこ」という言葉がね関西でほんのちょこっとですけど残ってるということがね...。笑福亭も含めて順番の名前でいくと、例えば「松鶴」は「光鶴(こかく)」「枝鶴(しかく)」「松鶴(しょかく)」というようですね。 |
| 米朝 |
六代目(松鶴)はそういう順序で来ました。 |
| 聞き手 |
でも大阪は縮めますよね、普通だったら「こうかく(光鶴)」ですよね。で「しょうかく(松鶴)」ですよね。 |
| 米朝 |
そういう例は他にもあったんやで、私なんかで調べたら役者の名前なんかでもねそんなんがあった思うんです。 |
| 聞き手 |
初代の鴈治郎さんのお弟子さんに「しょじゃく(松若)」さんという方がいらして... |
| 米朝 |
松若さんはね戦後もおられましたけどね。 |
| 聞き手 |
僕も晩年拝見しましたけど、初代鴈治郎ばりでモソモソモソと(科白を)お話しになるので、もうちょっと聞こえるように言うてくださったらええのにと思って。 |
| 米朝 |
あの人三枚目が面白かったですよ。 |
| 聞き手 |
でも短く言うかと思うと「じゅうざぶろう(阪東寿三郎)」とか... |
| 米朝 |
そうそう、これはまた伸ばすんや。 |
| 聞き手 |
関西はそういう意味では得手勝手に考えますね。 |
| 米朝 |
(笑)いや、やっぱり言いやすかったんやろうな。 |
| 聞き手 |
「松竹」と書いて会社は「しょうちく」ですが、噺家の名前は「しょちく」ですもんね。芸名を継いだらどうやというのは、東京では師匠や席亭がやるんですけど、で真打ちになるということもありますけど。 |
| 米朝 |
関西は漫才中心になってしもうたからね。真打ち披露をミナミ(法善寺)の花月で10日間やったのは五代目松鶴師の時ですな。 |
| 聞き手 |
昭和10年ぐらいですか? |
| 米朝 |
そんなもんでっしゃろうな。私の父親はあれを見に行ってますわ。「神主の仕事もえらいと思ってたけど、噺家もえらいな」「何のこと?」「口上している時にずっとお辞儀してる。あれしんどいねん」と言うて(笑) |
| 聞き手 |
昔の口上は本人がものを言わない。 |
| 米朝 |
お終いにパッと顔を上げるだけなんや。それはちょっとおかしいんちがうかと誰かの時にものを言わすようにしたことがあったな...。ざこばの時やったかな。枝雀のときは、枝鶴、枝雀、福團治3人並んでやったからね。 |
| 聞き手 |
昭和48年、角座でしたね。大阪から東京に行ってる名前は沢山ありますね。 |
| 米朝 |
文治かてそうやけど、そんなことから言い出すと仰山あるわけです。 |
| 聞き手 |
「三木助」なんて本当は大阪の名前ですよね。 |
| 米朝 |
あれは黒門町(文楽)が継がしたいというのと、小文治さんが賛成したらしいんやね。「大阪にこれと言うて継がしたいのはおらん」言うてね。それ以前は私に継げという話があったんです。系統が違う名前やさかいね、ちょっと遠慮はしたんやけど。 |
| 聞き手 |
「圓枝」という名前も大阪ですよね、元々は。 |
| 米朝 |
今東京にあると思うけどね。 |
| 聞き手 |
「首つりの圓枝」と言うね。 |
| 米朝 |
上手い人でしたよ。私はこの人の「碁泥」を聴きました。 |
| 聞き手 |
キタかミナミの花月ですか? |
| 米朝 |
キタです。ミナミはね、閉鎖されてまして、もう近々疎開されてしまう言うんでね。 |
| 聞き手 |
もう戦争の末期ですね。 |
| 米朝 |
漫才が仰山兵隊に採られたのと、慰問団に入れられて大陸へ仰山渡ってたんでね。 |
| 聞き手 |
吉本さんもしょうがなしに...(笑) |
| 米朝 |
まぁそうやろうな。 |
| 聞き手 |
五代目(松鶴)師匠とか米團治師匠はいかなかったんですか? |
| 米朝 |
つまり落語はお呼びでなかった。 |
| 聞き手 |
ほとんど漫才か歌ですね。 |
| 米朝 |
曲芸や手品は彩りとして欲しいんでね。噺家は座らんならんとかね、慰問団では扱いにくい存在やったろうな。東京の噺家なんか立って漫談風にやってたんやけど、こっちはそんな小器用な連中は噺家にはおらなんだからね。 |
| 聞き手 |
でも「兵隊落語」と言えば(柳家)金語楼さんですよね。 |
| 米朝 |
あ〜、もうこれはレコードだけでも凄い売れたやろうな。 |
| 聞き手 |
師匠も子供の時に聴かれました? |
| 米朝 |
ラジオに出てるのを聴いた記憶があります。 |
| 聞き手 |
あれ「山下敬太郎」って言うんですよね。 |
| 米朝 |
あれは戦争が激しくなってからはやらなんだ。やっぱり兵隊をバカにしてると言うんかな。 |
| 聞き手 |
お上のウケは悪いですね。 |
| 米朝 |
そうですね、あんまりええことはなかったと思う。一つだけ覚えてるのは、「日本では特急列車は、『つばめ』とか『富士』とか『さくら』とか。あっちは『ひかり』と言うんです」と言うてね。金語楼さんがおかしな顔をするとそれだけで客が笑うてましたよ。 |
| 聞き手 |
顔で笑わしてたんですか? |
| 米朝 |
そうです、それで頭光ってましたからね。それを売りもんにしてましたからね。 |