| 聞き手 |
イーデス・ハンソンさんは日本に来られたのは何年でした? |
| イーデス |
昭和35年、1960年。 |
| 聞き手 |
おいくつだったんですか、そのとき。年言うたらバレますけど。 |
| イーデス |
バレてんのやろけど...。ちょうど21歳になったとやった。 |
| 米朝 |
こちらのお兄さんがな、日本にやってきたんや、その前に。それでこの変な国の魅力に取り憑かれたんかしらんけど、しばらくいてはった。夏休みかなんかで学生やったんやね。で、ついて来たん、お兄さんに。 |
| イーデス |
夏休みでなしに、その1年学校休むねんと。兄は大阪大学の交換教授で来て、「こんなチャンスないわ」と思って、ついて来きたん。だけど兄にはまともに仕事あるからね、時期がくれば帰るんやけど、私学生やったからね。1年休もうが2年休もうが... |
| 米朝 |
(笑) |
| イーデス |
で、面白いから1人で残った。 |
| 米朝 |
(最初に)文楽の人形浄瑠璃に興味持ったお兄さんやった? |
| イーデス |
ううん、私が先に見に行った。全然知らなかったけど、大阪の有名な古典芸能っていうふうに言うわけね。それで見に行って面白かったから通ってた。 |
| 聞き手 |
当時、朝日座ですよね。 |
| イーデス |
その時は文楽座と言ってた。朝日座に変わったんはその後。 |
| 聞き手 |
で、一時、文楽の人形遣いの方とご結婚されましたもんね。よほど虜になられたんですね、文楽に。 |
| イーデス |
いや、文楽がどうやということで結婚したんやないよ。その人好きやったん。 |
| 聞き手 |
あ〜、そりゃそうですね。失礼いたしました。 |
| 米朝 |
(笑) |
| イーデス |
文楽はきっかけ。 |
| 米朝 |
浄瑠璃、義太夫は分かった? |
| イーデス |
分からん、分からん。 |
| 米朝 |
分からへんやろね、日本語もはっきりせえへんのにな、あんな古い... |
| イーデス |
所々しか分からへんけども、まぁ〜もちろん深〜くいろんな部分まで味わうためにはそりゃ分かった方がええと思うけど、分からんでも伝わってくるよ。可愛そうやとか哀れやとか悲しいとか... |
| 米朝 |
そりゃ語ってる太夫さんでもね、何のこっちゃよう分からんと語ってる人かてあるやろうし(笑) |
| イーデス |
でもね、日本の若い人は、そりゃま言葉は古いから見に行かへんというけどね、言葉分からんでも見に行って面白いもんよ、あれ。 |
| 米朝 |
そうそうそうやね。だいたい見てたらね、あらすじなど分かってくる。 |
| イーデス |
プログラム買うたら書いてある。 |
| 米朝 |
本当に難しいよ、分かろうと思うたら。 |
| イーデス |
米朝さんでも? |
| 米朝 |
初めはあんなん、分からへんわ。 |
| イーデス |
はぁ〜...。ほなら私、分からんのあたりまえやな。 |
| 米朝 |
中学ぐらいの時に初めて見たんかな。昭和10年代ね。 |
| 聞き手 |
それは姫路でですか? |
| 米朝 |
いやいやこっち(大阪)来て。人形劇やから観てりゃ何となく分かりますよ、そりゃ。 |
| イーデス |
分かるよ。同じ人形劇でも世界にはいろんなのあるけれど、文楽は大人の人形劇やね。 |
| 米朝 |
ヨーロッパ辺りは人形劇と言うたら、子供相手なもの... |
| イーデス |
単純な内容で... |
| 聞き手 |
3人遣いになった所でグンと人形の表現力が高度になったんやないですかね。 |
| 米朝 |
そりゃそうや。糸操りも日本にあったんやけどね、文楽というお手本があるもんやからね、内容はかなり複雑なものをやってた。 |
| イーデス |
動きもね、操りに比べてしなやかですよ。 |
| 米朝 |
肩の線やとか、首の線やとかね。 |
| イーデス |
あの立て膝の線とかね、全然違うよね。 |