| 聞き手 |
東京はそば、関西はうどんと言いますが、やっぱり歴史的に流れが違うもんなんですか? |
| 石毛 |
日本の麺類で一番古いのはそうめんなんです。今と作り方は違いますけど奈良時代からそうめんはあります。 |
| 聞き手 |
三輪そうめんとかありますね。 |
| 米朝 |
あ、そう、三輪の何から聞いたけどね、古い記録があそこにはあるらしい。 |
| 石毛 |
三輪はそうめんの有名な所ですが、これはお伊勢参りとも関係があるみたいです。 |
| 聞き手 |
へぇ〜 |
| 石毛 |
お伊勢参りで三輪を通った人が、三輪そうめんの作り方を習って江戸時代に各地に広めた。うどんとそばですが、うどんの方が古いんです。ただ食い物は実物が残りませんから文字でしか分からない。一番古い記録が鎌倉時代に法隆寺の記録で、『うとむ』と書いてある、これがうどんだろうと言われている。ただその前からある記録で宮中で『はくたく』というのを作っている、これはうどんの一種だろうと言われています。ただ昔はやっぱりそういう粉物は普段の食事のものではない、というのは粉を挽くのが大変なんです。 |
| 米朝 |
はぁ〜 |
| 石毛 |
手回しでも回転する石臼が農家に流行るのがだいたい江戸時代からなんです。その前はだいたい臼でついて粉にするんで、えらく手間がかかる。だから麺類は貴重品だったわけですが、西日本、特に近畿が小麦を中心にしたそうめん、うどんが発達して、そばは一番古い、十数年前に見つかった記録で天正年間、16世紀の中頃に長野県、木曽の定勝寺というお寺の落成記念に、カネナガという人が蕎麦切りをふるまったというのがあります。今でも信州そばは(有名です)。(うどんの原料)小麦粉の方がそば粉よりも上等なんです。 |
| 米朝 |
でしょうな〜。 |
| 石毛 |
関西は気候温暖で稲作で小麦が作れたので、早くから小麦が普及するんですが、(そばは)荒れ地などの休耕食物だったんです。江戸時代になって、江戸の町でも始めはうどん屋の方がそば屋よりも上だったみたい。だから行灯にも『うどん、そば』と書いてある。それが元禄あたりからそばがのして来て、江戸人がそばを通の文化に仕上げたんですな。江戸という所は荒廃地が、山梨だとか、信州だとか山がちで、そばが取れる。それを何とかうまく食おうと、それでカツオの出汁と濃い口醤油で... |
| 聞き手 |
例えば同じネタの関西の『時うどん』、関東の『時そば』、食べ方一つにしても関東はいい格好ですよね。そばつゆたっぷりつけないとか... |
| 石毛 |
それで、死ぬ時に思い残すのは、そばつゆたっぷりつけて食いたかったと言う(笑) |
| 聞き手 |
方や関西はうどんをもそもそ食べるところが一つの芸になったりします。そのへんが文化の違いなんでしょうけども、面白いですよね。 |
| 石毛 |
江戸時代の末、明治のちょっと前に、大阪の町奉行へ江戸から赴任して来た久須美(佐渡守祐儁)さんという人が、『浪速の風』という本(江戸と大阪の風俗の違い)を書いてます。この人は食い物が好きだったらしくて、食い物のことがよく書いてあるんですが、大阪の食い物をケチョンケチョンにけなしてるんです。でもうどんだけは褒めてるんです。「雪白にして味わいが良い」と、自分はそば食いだと、だけど大阪のそばは食うにあたわず。それだから私は大阪に来てから、うどんばかり食べてると |
| 聞き手 |
へ〜 |
| 石毛 |
『食い倒れ』という言葉も、当時大阪にもこの言葉があったことは確かようなんですが、「ことわざに曰く、京の着倒れ、江戸の食い倒れのごとく、当地も着倒れなり」と書いてあるんですね。 |
| 聞き手 |
落語の中でうどんは良い所もありますけど、高座の飛びなんかで飛びなんかがあたらなかったらうどん食って寝るとか扱いが悪いですね。 |
| 米朝 |
一番安い店屋物やったんやろうな。 |
| 石毛 |
私が関西に来て始めにビックリしたのは、ラーメンと一緒に白ご飯が出る、うどんと一緒にご飯を食べる。私の感覚では、主食をおかずに主食を食べるという |
| 米朝 |
こっちの「かけ」の出汁の味は、おかずになるような味ですわ。 |
| 石毛 |
まぁ〜そのうち自分でもやってみるようになると、結局うどんが吸い物代わりになって、納得出来たんです。 |
| 米朝 |
本当にうどん屋の出汁という物は、東京と比べ物にならんからな。 |