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スペース 6月4日第58回
〜今週も食文化の研究で名高い、国立民族族学博物館名誉教授の石毛直道さんをゲストにお迎えしました。聞き手は大阪ABCテレビのプロデューサー市川寿憲です〜
聞き手  石毛先生のお父様は今年、満百歳でまだお元気だそうですね。
石毛  母親が亡くなってからですね、良かったのはガールフレンドを見つけたんですね。
米朝  はぁ〜、百歳で?
石毛  80(歳)過ぎてからですが、(父は)昔女子師範学校の先生をやっていて、教え子の一人と偶然なのかどうなのか...。その人も旦那さんを亡くして独りだったので仲良しになって、一緒に旅行したり...。どうもそれが元気のもとなんでしょうか。
米朝  まぁ〜そうでしょうな。何歳ぐらい?
石毛  その方は90近いんじゃないかと思います。
米朝  私はまだ80ですけど、今さら心安なる人、異性、同性関係なく、もうこの年になってから出来ませんな。
石毛  まぁ、父親の場合は、昔は酒もよく飲んだようですが、体を悪くしてからは飲まなくなり、今ですと梅酒を一杯ぐらい飲むことはあるらしいですよ。それに引き換え私の方は、大酒大喰らいで毎日のように家内に叱られているんで、これは長生きするはずはないと思っているんです(笑)
米朝  (笑)
聞き手  今年のお誕生日で69歳でいらっしゃいますよね。まだまだこれからですよね。
米朝  まだまだ。この頃70はやっと年寄りの部へ入れてもらえるかなというぐらい、とのことらしい。
石毛  しかし米朝師匠は今でもお酒好きだし...
米朝  いや、量はあきません。
聞き手  最近お二人でお飲みになるようなことは?
石毛  この前ざこばさんの出版記念のパーティの後にご一緒にちょっと...
米朝  昔のこと思うたら、可愛らしいな。

聞き手  (笑)先生、日本人の食生活は、人間が生きていく上では、良い石毛食生活なんですか?
 石毛  そうですね、フランス人の肉の消費量と比べたら、日本人は半分以下。そのかわり魚の食べる量は倍ですね。まぁ〜高度経済成長が終わったあたりから、我々、肉を結構食べられるようになった。それまではもっと肉を食べ、油をもっと取れって政府が奨励してたんですよね。魚も海から遠い所はごちそうで、普段そんなに食うもんじゃなかった。それが今から40年ほど前から経済的に豊かになって、そこそこ魚も食べ、肉も油も取るという食生活になって、ちょうどバランスが取れた。しかしそれが現在になると、生まれた時から肉を食べるのは普通、油も普通に取るという食生活の人々はこれからはちょっと...(笑)
米朝  そうですよね、私も例えば牛乳はあんまり飲まなんだね。私ら子供時分には牛乳を飲めと大変奨励をされましたが。
石毛  これは明治の始めの頃、明治2年〜3年から政府関係者が牛乳を奨めるわけです。
米朝  そんなに早くから!?
石毛  政府が作った会社で『牛馬会社』というのがあって、そこで牛肉を売り、牛乳を売る、そういったことを始めるんです。牛乳も奨励するけども、まぁ〜戦前でいったら牛乳を飲むというのはだいたい体の弱い人で...
米朝  そうですわな。
石毛  乳製品では二つだけですね、一つは粉ミルク、もう一つはアイスクリーム...
米朝  え〜!!!!
石毛  それもあんまり牛乳入れてないやつでしょうけど...(笑)そうすると朝食にパンを食べるようになると、バターやチーズもそこそこ消費が増えてくる。それからその前から続く学校給食で牛乳を飲ませる。それで乳製品にようやく慣れてきたということで。奈良時代から平安時代にかけて乳を搾って『酥(そ)』というものを作って、朝廷に献上しました。『酥』というのが何かよく分からないんですが、牛乳をとろ火で煮て、上に出てきたものを掬ったものじゃないかと。半分固形になりますから。これはモンゴルの乳製品で似たものがあります。だけどそれもほんの一握りの貴族が食べたもんでしょうね。だいたい万里の長城から南、中国、朝鮮半島はミルクを搾る習慣がなかったとこなんです。その北側は遊牧民の世界で、羊や牛を沢山飼って、その乳製品で暮らしてたわけですから。幕末にやってきた西洋人たちが神戸や横浜に居留地を作って、牛乳を何とか手に入れようとするわけです。周辺の農家の人たちは「乳というのは子牛を育てるために出るもので、人間が横取りするのはけしからん」と。それで困ってしまった西洋人は船で、アメリカ、中国、朝鮮半島から牛を運んで来て、それを売ったということです。
米朝  ほぉ〜
聞き手  へぇ〜
石毛  牛肉は明治になってからですが、かしわ(鶏肉)はもうちょっと前から食べられていました。それでも江戸時代になるまでは食べられていなくて、卵もほとんど食べなかった。鶏は日本では神様のお使いです。神社でも鶏を飼っています。もう一方ではやはり目覚まし時計。それと闘鶏ですね。そういったので飼っていたんで今昔物語には鶏を食べてどんな祟りがあったかという、その話ししか書いてないんです。これは私の想像なんですが、戦国時代に南蛮人がやって来てキリスト教に改宗した日本人はもう肉を食べ始めるんです。その時にかなり肉食が進行して、クリスチャンじゃない人にも肉を食べることが広まって、当時の京都では牛肉を『わか』と言って...
米朝  わか?
石毛  これはポルトガル語の『ヴァカ(牛肉)』から来てるんです。その頃から鶏や、卵を食べることが始まったんじゃないかと。江戸時代になると犬公方と言われた綱吉が生き物を殺すことを禁じたんですが、どうも南蛮人が来た頃から食べ出したのは、鶏は小ちゃなやつだし、あんまり罪悪感が無いので食べられるようになったんじゃないかと...。
米朝  相撲取りはわりと早うから食ってたようですね。谷風や雷電は鶏が一番うまかったやろうな。牛肉食わせなんだら。
石毛  京都ではよく飼っていた『かしわ鳥』羽が柏の葉っぱの色をしてるからだという話があります。ただし、いとしこいしさんの漫才で「生きてる時は鶏で、死んだら戒名がかしわだ」っていう(笑)

聞き手  ちょっと戻りますが、日本人がご飯を食べるということが健康に良かった。米朝師匠のお噺で、「ご飯いくらでも食べてええと、ご飯と漬け物はなんぼでもある」と。あれは正しい...
米朝  奉公人に対してね...
石毛  現代の栄養学でいったらもっと必要なものはあるでしょうけども、人間の体にとって一番大事なのはエネルギーの源ともう一つはタンパク質、体を作る物質。ご飯とパンの小麦を比較すると、必須アミノ酸といって食べ物でよそから採らなきゃなんないアミノ酸が、パンはあまりバランスが良くないんです。パンだけで一日に必要なエネルギーとタンパク質を採るとしたら、極端な話、おかずいっさい無しとしますと、パンだと5kg食べなきゃなんない...
聞き手  5kg!!!!!!!!!!???
米朝  (笑)
石毛  これは大人がです。ですからヨーロッパの中世の食生活はどんな貧しい農家でもパンだけではなくて、そこにチーズが一切れある。それで必須アミノ酸のバランスが取れる。ところが米だけ食っておかずなしだと、一日にお米五合食べたら必要なエネルギーとタンパク質、必須アミノ酸も全部カバー出来るんです。でも五合飯と言ったら農繁期は一升飯という話があるし、武士のサラリーの元になる一人ぶちは、一日に五合の米を配給するということです。ですから米というのは大変合理的な食品なわけです。胃拡張の心配をおいておけば、大飯食ったらそれで何とかなる。
聞き手  でもご飯だけでは食べられないからお漬け物とかが発達するわけですね。
石毛  それからなんといっても味噌ですね。米とみそ汁の組み合わせという。関東ですと朝ご飯にみそ汁が必ずつきます。しかし関西はだいたい朝は粥か茶漬けで、みそ汁なしでもいい。京、大阪というのは商売人の町ですので、昼にご飯を炊いて汁がつく。江戸は職人の町ですから弁当を持って行ったりするので、朝、飯を炊くわけです。
米朝  うちはたいがいみそ汁があったと思うんやけどなぁ〜。刻みネギと豆腐が必ず入ってたように思う。油揚とね、ちょっと贅沢やったかなこれは。
石毛  それから農家ですと、自分の家で味噌を作ってますから。
聞き手  昔は味噌とか醤油は自分の所で作っていたんですか?
石毛  味噌はそうでしたけど、醤油はそうでもなかった。醤油は作るのが複雑なんです。だから醤油は早くから醤油屋というのが出来まして、買ってくるもんなんです。江戸時代の都市は醤油が味付けの基本になります。だけど田舎はずっと明治になるまで味噌味が基本だったんです。自分の所で作るから手前味噌が...(笑)買い味噌をするというのは主婦にとって恥ずかしいことだと...
米朝  ほ〜
聞き手  恥なわけですね。

聞き手  東京はそば、関西はうどんと言いますが、やっぱり歴史的に流れが違うもんなんですか?
石毛  日本の麺類で一番古いのはそうめんなんです。今と作り方は違いますけど奈良時代からそうめんはあります。
聞き手  三輪そうめんとかありますね。
米朝  あ、そう、三輪の何から聞いたけどね、古い記録があそこにはあるらしい。
石毛  三輪はそうめんの有名な所ですが、これはお伊勢参りとも関係があるみたいです。
聞き手  へぇ〜
石毛  お伊勢参りで三輪を通った人が、三輪そうめんの作り方を習って江戸時代に各地に広めた。うどんとそばですが、うどんの方が古いんです。ただ食い物は実物が残りませんから文字でしか分からない。一番古い記録が鎌倉時代に法隆寺の記録で、『うとむ』と書いてある、これがうどんだろうと言われている。ただその前からある記録で宮中で『はくたく』というのを作っている、これはうどんの一種だろうと言われています。ただ昔はやっぱりそういう粉物は普段の食事のものではない、というのは粉を挽くのが大変なんです。
米朝  はぁ〜
石毛  手回しでも回転する石臼が農家に流行るのがだいたい江戸時代からなんです。その前はだいたい臼でついて粉にするんで、えらく手間がかかる。だから麺類は貴重品だったわけですが、西日本、特に近畿が小麦を中心にしたそうめん、うどんが発達して、そばは一番古い、十数年前に見つかった記録で天正年間、16世紀の中頃に長野県、木曽の定勝寺というお寺の落成記念に、カネナガという人が蕎麦切りをふるまったというのがあります。今でも信州そばは(有名です)。(うどんの原料)小麦粉の方がそば粉よりも上等なんです。
米朝  でしょうな〜。
石毛  関西は気候温暖で稲作で小麦が作れたので、早くから小麦が普及するんですが、(そばは)荒れ地などの休耕食物だったんです。江戸時代になって、江戸の町でも始めはうどん屋の方がそば屋よりも上だったみたい。だから行灯にも『うどん、そば』と書いてある。それが元禄あたりからそばがのして来て、江戸人がそばを通の文化に仕上げたんですな。江戸という所は荒廃地が、山梨だとか、信州だとか山がちで、そばが取れる。それを何とかうまく食おうと、それでカツオの出汁と濃い口醤油で...
聞き手  例えば同じネタの関西の『時うどん』、関東の『時そば』、食べ方一つにしても関東はいい格好ですよね。そばつゆたっぷりつけないとか...
石毛  それで、死ぬ時に思い残すのは、そばつゆたっぷりつけて食いたかったと言う(笑)
聞き手  方や関西はうどんをもそもそ食べるところが一つの芸になったりします。そのへんが文化の違いなんでしょうけども、面白いですよね。
石毛  江戸時代の末、明治のちょっと前に、大阪の町奉行へ江戸から赴任して来た久須美(佐渡守祐儁)さんという人が、『浪速の風』という本(江戸と大阪の風俗の違い)を書いてます。この人は食い物が好きだったらしくて、食い物のことがよく書いてあるんですが、大阪の食い物をケチョンケチョンにけなしてるんです。でもうどんだけは褒めてるんです。「雪白にして味わいが良い」と、自分はそば食いだと、だけど大阪のそばは食うにあたわず。それだから私は大阪に来てから、うどんばかり食べてると
聞き手  へ〜
石毛  『食い倒れ』という言葉も、当時大阪にもこの言葉があったことは確かようなんですが、「ことわざに曰く、京の着倒れ、江戸の食い倒れのごとく、当地も着倒れなり」と書いてあるんですね。
聞き手  落語の中でうどんは良い所もありますけど、高座の飛びなんかで飛びなんかがあたらなかったらうどん食って寝るとか扱いが悪いですね。
米朝  一番安い店屋物やったんやろうな。
石毛  私が関西に来て始めにビックリしたのは、ラーメンと一緒に白ご飯が出る、うどんと一緒にご飯を食べる。私の感覚では、主食をおかずに主食を食べるという
米朝  こっちの「かけ」の出汁の味は、おかずになるような味ですわ。
石毛  まぁ〜そのうち自分でもやってみるようになると、結局うどんが吸い物代わりになって、納得出来たんです。
米朝  本当にうどん屋の出汁という物は、東京と比べ物にならんからな。

石毛  『米朝落語全集』全七巻に出てくる食べ物を、私チェックしたことがあるんです。上方落語に出てくる一番多い飲食物はなんだと思いますか?
聞き手  師匠なんですかね?
米朝  やはり飯や...
石毛  飯は二番目で、一番は酒なんです。飲食物ですから
米朝  はぁ〜、なるほど。
石毛  三番目が餅なんです。
米朝  やっぱりね〜
石毛  それで、汁、漬け物、という順番なんです。とにかく酒、ご飯、汁、漬け物、落語はやっぱり民衆の娯楽なんですね。
米朝  そうですな、それだけあったら生活出来るというような。
聞き手  東京の『こんにゃく問答』がこっちでは『餅屋問答』ですし...向こうでも餅は食べたんでしょう?
石毛  ただ関西の方がよく食べたらしい。餅は関東だとお祭りだとか正月だとか行事の食べ物で、普段それほど食べなかった。また餅というのは普通の食べ物と違うんですね。どうしてお祭りに餅がよく出てくるか、『稲玉』といってもみには稲の精霊というか神様が宿っていると。それを搗き固めた物だから稲の力が凝縮されている食べ物。だから力餅といって、餅を食べたら肉体的な力が付くだけじゃなくて、精神的に力が付くんだと考えられたみたいです。
聞き手  日本人はどこでも神様がちゃんといるんですね。
石毛  ま、食についていろんなことを知るには、落語を聴くことです(笑)
米朝  えらい結論になりましたな(笑)

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