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〜今週の米朝よもやま噺も、文楽の人形遣い、人間国宝の吉田文雀さんがお客様です。聞き手は大阪ABCラジオのプロデューサー、市川寿憲です。1月30日ウェスティンホテル大阪で収録しました。〜
文雀  船場の旦那衆ちゅうのは、今のカラオケみたいに宴会がありますとその後で必ず浄瑠璃を語らはる...
聞き手  ああ、素人浄瑠璃が盛んでしたからね。
文雀  ですから色街でね、堀江でも新町でもキタの新地でも、みな義太夫芸者というのは居て、それがみな三味線を弾いて語るんです。その語られるときにちょっとさわりを人形遣いが行って、お座敷をね...
聞き手  あ、呼ばれることがあるんですね。
文雀  それは沢山...。その時分、幕末から明治にかけてですから、昼間だけの芝居で夜は遊んでるわけですから、「今日どこどこの旦那さん来て、なんやねんを語りはるんで、ちょっとやって」それで私どもの、今でもこの言葉が楽屋で通じているんですけど、『アルバイト行く』ちゅうのを『夜なべに行く』ちゅうの。
米朝  (笑)『夜なべ』...これはまぁ一般の言葉ではありますけどね、その時分はそれやると多少ご祝儀とか...
文雀  そうそう、その方が大きいです。だからみな『夜なべ』するんです(笑)
聞き手  米朝師匠と文雀師匠は『上方風流』でお酒とか、お食事とかそういう機会はよくあったんですか?
米朝  その時分はね、ちょいちょい一緒に一杯飲んだりとか...
文雀  その帰りが同じ方面でございますからね...
米朝  西宮の方や
文雀  同じ車でね、大倉長十郎さんと3人で...
米朝  そうや、彼もあっちの方やった...
文雀  ところが大倉長十郎さんはお酒全然飲まないんです。ほうじ茶をそこにおいて、女子はん口説こうかちゅうような人でした。
米朝  (笑)
文雀  私もあんまりいけませんね。好きなのはこちら...
聞き手  あ、米朝師匠だけがお飲みになるんですね。
米朝  長さん、ほんまに飲まなんだね、あの人は。
聞き手  全然ですか?
米朝  全然。
聞き手  ようモテはったんですか?
米朝  長さんモテたやろね。
文雀  声は悪い方でしたけどね、しわがれた声で(笑)
聞き手  また味があったんじゃないでしょうか(笑)

聞き手  何か、落語で『艶噺(ばればなし』がありますが、それを人形で...
米朝  ああ、いっぺんやった...
文雀  京都の然林房でね。
聞き手  鷹峯でしたっけ...。米朝師匠が語り手で...
文雀  こっちが、人形遣うんですけど。
聞き手  ネタは?
米朝  『故郷へ錦』や。
聞き手  本当に艶噺ですね。
米朝  (笑)
聞き手  でもああいうもんは噺で、音楽はなく、人形だけですよね?
米朝  いや、やっぱりね、音がしてないと...。あの時なんやったか...
文雀  なんか弾いて貰うてね。
米朝  それもやっぱり『太(竿)』やないとあかんのやけど、『太』はないから、地唄の三味線なら何とかなる言うてね。
聞き手  音が重めですしね。
米朝  そうそう、やっぱり長唄の三味線では、よう人形遣わん。
聞き手  伺いましたら、100人限定で...
文雀  そしてまた、その日がえらい雷が鳴って、嵐みたいなお天気で...
米朝  そう、そう。そんなんでした。あん時ね、ピカピカ、ゴロゴロやった。あれいっぺんだけでしたけどね。
聞き手  もう次はなかったんですか?
文雀  企画はあったんですけど...
米朝  やれやれ言われたけど...
文雀  『紀州飛脚』をやれとかね...
米朝  そうそうそう
聞き手  なるほど、ご注文、あったんですね。
米朝  やっぱりね、人形は一役出したら3人いりまっしゃろ...
聞き手  文楽の人形は3人遣いですからね。主遣い(おもづかい) という方と、左手を使う左遣い(ひだりづかい)と足を使う足遣い(あしづかい)と。
米朝  けど、まぁ〜、若ければこそ、あんなことをやれたって(笑)もうこの年になってはやれまへんわ。
聞き手  40年ほど前?
文雀  35〜6年ほど前ですね。
聞き手  戦後そういうお座敷で...
文雀  心斎橋のあの辺、全部焼けてしまいまして、大丸さんから南の方にバラック建ちのお茶屋みたいのが、あちこち建ってましてね、そこで(二代目)春團治さんがね、駐留軍とか、あちらから来はったバイヤーなどのおもてなしによう艶噺をなすってね、そこへ手前どもの方の、私の先輩なんかがよう行きまして、遣っておりましたけどね、人形を。
聞き手  それは最初から艶噺なんですね。
文雀  そうです。浄瑠璃語りましてもね、そういうようなものでね...
米朝  艶浄瑠璃は昔からあったらしい。
聞き手  あ、そうですか。僕らそういうもんは一切やらないと、修行に邁進するぞと...
文雀  いやいや...
米朝  そりゃまたアルバイトで...
聞き手  (笑)夜なべですね。でも二代目(春團治)さんという方は非常にお芝居とかもお上手だったと伺いましたが...
文雀  私も学校から勤労動員で行ってました。神戸製鋼の尼崎工場の課長をしておられた方が、西宮で大きな遊郭のね楼主だったんです。その方と二代目さんが心安うて、工場の中の慰安会なんかよく呼んで。そしたら噺をひとつされて、その後に『鹿芝居(噺家の芝居)』をなすってらっしゃって...。奥さんが細い綺麗な方だったんです。その方が『明烏』の遣り手のおかやをしてね、春團治さんが禿のみどりのして、裸になって大きなお尻を振ってね、叩かれたら「痛〜い」と言うてからにね客席を走り回ってはったのが、目についています。
聞き手  えらいご馳走のチャリですね。
米朝  あれはいっぺん松坂屋ホールでやったこともある。
聞き手  あ、そうですか。お芝居の素養もあったんですね。
米朝  あの人はね、好きやったね。
聞き手  でもでっぷり肥えた方ですよね。
文雀  体つきも顔もそりゃもう...(笑)
米朝  あれが禿のみどりやるんやさかい、そりゃもう出てきただけで...
文雀  顔からお腹からみんな真っ白に塗ってね、大きなお腹を丸出しにしてね、襦袢の合わせの間から...
聞き手  さも見せるようにね。でも師匠、落語と浄瑠璃は関係の深いものですよね。
米朝  それはやっぱり、徳川時代から代表的な娯楽ですからな、浄瑠璃は。だから浄瑠璃のパロディみたいなのをやったら、みんな分かったわけなんや。さわりの文句なんかみんな知ってたわけですからな。いちいち説明いらんわけ。
聞き手  代表的なものでいうと『猫の忠信』であったりとか...
米朝  ああ、落語にも仰山入ってますわな。
聞き手  元が分かってらっしゃるお客に聞かせるのと、分からない客に聞かせるのは違いますよね。
米朝  それはえらい違いですわいな。酒飲みのね、極道の母親のぼやきがそっくり『先代萩』のパロディになってるのかな。「三千世界の酒飲みの 親の心はみなひとつ 子の可愛さに毒なもの 飲むなと言うて叱るのに 毒と知りつつ... 死んでもよいというような 胴欲非道な倅めが またと一人あるものか」と言う、全部そのままのパロディやな。
聞き手  あんだけ子供を死なして悲しんでるところが、こんなパロディになるわけですね。
米朝  (笑)

聞き手  文雀師匠も正式にお入りになって60年以上ですけれど、お客さんがドンドン変わって文楽の方はいかがでございますか?
文雀  この頃のお客さんは真面目なお客様が多ございますね。昔のように舞台で遊ぶ...、遊ぶというと悪いですけど、ようなことは出来ませんね。
聞き手  昔は床本を見てたんですけど、今字幕が出ますね。
文雀  あれ、本の時はめくるとこがみな同じで、そこへいくと、「シャー、シャー」と音がしてくるわけなんですよ。
米朝  あれ、ちょっといややったな。
文雀  それで字幕出すようになってしまいましたけど。
聞き手  国立の能楽堂の方は舞台ではなくて、椅子の後に出るようになってるんですね。ですから見たい人はみる、見たくない人はみないでいいと。僕らみたいにたまに邪魔っけやなと、難解な文字の時はこう書くんかと思うんですけど、あれはどうなんですか。あった方がいいもんなんでしょうかね?
文雀  さぁ〜、私ども何とも分かりませんけども。
米朝  あれも試行錯誤でまた変わるかもしれまへんで。
聞き手  そうですね。
文雀  アメリカに行きましたときにね、イヤホンで解説をやったんですが、お客様の方を見てるうちにだんだん芝居が盛り上がってきたら、取られるお客様が多くなりまして...
聞き手  あ、邪魔になって。
文雀  もういらんと、芝居の方へ熱中される。それは本当に私ども、ありがたいことやなと思いました。
聞き手  歌舞伎はわりと早くからイヤホンガイドというのが出来たんですが、文楽もだいぶ遅れてから、賛否両論ありましたけどイヤホンガイドがついてしまいましたですよね。
文雀  海外の公演のときには、始まる前に役者さんが、解説をなさいますね。役者さんですと身振りを加えたり、強調したりするもんで。で解説をしてお芝居を始めるということが多くなりましたね。

聞き手  文雀師匠は、文楽博士と云われるくらい、本当に文楽のこと何でもご存知で。
文雀  それはもうお年寄りの方がみんなおられなくなったからで、そんな言われるほど詳しくはございませんけども。
聞き手  でも各公演のお人形の、『かしら』と言いますよね、この演目というか物語にはこの『かしら』を使おうというのを、『かしら割り』と言いますね。
文雀  だいたいこれもね、どの役にはどれと決まってまして、ただ若男とか女形のような類のあるもんは、この役にはこのかしらがいいとか、この人はこのかしらでは合わないとか、それだけはみます。
聞き手  『この人は』というのは遣い手ですか?
文雀  遣い手です。太夫で変えたのは、この頃はたいてい決まってしまって、今の太夫さん、みな賢くなって、自分の語る物のかしらを見に来たりしておりますからね。以前ですけど昭和40年の始めでしたか、(先代の)綱大夫さんがお千代半兵衛の『心中宵庚申』の上田村をね、復活しましたときに、それまでに昭和の初年に出ました時は先代の大隅大夫が語って、玉男さんの師匠の玉次郎さんが、お千代のお父さんの役、病弱で布団の中に臥せっている、そのときに『武氏』というかしらを遣いました。武氏というかしらは庶民的な、身分の低い役に使うお祖父さんのかしらです。でも綱大夫さんの語りを聞いてますと、それじゃうつらないんですね、どうしても。綱大夫さんの解釈が家は百姓だけど大百姓で、地頭代官にしか頭を下げたことがないということ言ってる。ところが側に置いてる本棚には平家物語とかそういうものを置いて、絶えず眺めてる。インテリでね、そして身分も高い。で、これでは合あわないって云うんで、違う、『舅(しゅうと)』というかしらを、私が車で倉庫まで走ってとって来て、床山さんにカツラ打ち変えてもらって、それで遣ったんです。それがうつりましてね。でまたその時の綱大夫さん非常に結構なお舞台でしたんで、その語り口がいまだに伝わってるんです。上田村ですとお千代のお父さんの役には『舅』のかしらを今は遣うように、それが決まりになってしまいました。
米朝  はぁ〜
聞き手  今でもかしらというのは、昔は大江巳之助さんという方がいらっしゃいましたけど、新しく作られる方いらっしゃるんですか?
文雀  まぁ〜、最後の弟子がおりますけどね、これちょっと難しいことであんまり作られないんです。だいたいかしらというのは1個こしらえますと、手入れをし、手入れをし、して100年持つと言われてる。そうすると大江さんが戦後こしらえたのが、昭和20年代〜30年代に沢山作りました。ですから出来ましたかしらが今ちょうど50年〜60年なんです。今一番くたびれてる時なんです。なんでくたびれるかと申しますと、カツラはかしらに直に釘で打つんです。(カツラを新しいのに付け替えたりすると)だんだん釘穴が大きくなってひび割れの元になるんです。そこでその穴を塞ぐんです。他の材料でこしらえたかしらは出来ないんですが、文楽のかしらは檜でこしらえてる。木曽の檜が一番いいんです。あそこは湿気が多いですから年輪が詰まってる。この木曽で伐採したのを、昔ですと木曽川流してあの綺麗な水で、伊勢湾に流れてきて、伊勢湾の貯木場で半年なり1年なり浸けといて乾燥したもん、これがだいたいお伊勢さんの二十年式年遷宮の時に使います御用材になるわけです。文楽のかしらもそういう材料で、だいたい60年以上経ったもので、1本の木を4つに挽きまして、その4/1の所の真ん中の芯の部分を抜きまして、かしらを作るんです。だから相当大きな木でないと出来ないんです。ところがそういう木は高いですから...。戦後すぐに大江さんが作ったかしらは、戦争が激しくなってかしらを作る必要のなくなったもんですので、そのかしら用の木材は全部防空壕の用材に使ってしまった。
米朝  あ〜あ
文雀  それを防空壕潰してその中から使える木を取り出して作ってるんですが、防空壕の中で使うからキチッと原形をとどめていない。それを手当てしながら作ったりしてるものがやっぱりくたびれてきてますしね。この頃公演地が一カ所から次の箇所が遠いんです。
聞き手  あ、交通の便がいいですからね。
文雀  そうするとその間トラックに揺られていくわけです。
聞き手  傷むわけですか?
文雀  振動に弱い。それから海外公演だと飛行機に乗ってあっちこっち行きます。例えば2月にニューヨーク行きました。外は震え上る寒さ、家ん中に入ったら蒸気で暑い。そうするとかしらは木ですから、冷たいとキューッと収縮して、温かいと膨張してしまう。それでかしらに被害でましてね、困ったんですけど...。それで痛むことが多いので、かしら係りはいろいろと難しく手入れをしてるわけなんです。
聞き手  でも大変ですね。だましだましだといいですけど...
文雀  それとね、昔のような材料が今、手に入らないのが多いですね。かしらを塗るのは胡粉です。あれは貝殻を細かく砕いたもの。その貝殻が昔と違って今は海が汚染されてますから、貝殻の質が違うんです。
米朝  はぁ〜
聞き手  ほぉ〜
文雀  それから膠(にかわ)ね。あれも馬や牛の随とか、皮から焚いて取るんですけど、昔は自然に放牧してたから非常に上質なものが取れたんです。今は子供の時からビールやったり何やったり、すぐに大きくしてしまいますから、膠に粘り強さがない。それからクジラの髭を使います、それもセミクジラしか使えないんですね...
聞き手  あ、他のクジラはダメなんですか?
文雀  ダメなんです。今セミクジラ獲ってもいいのはエスキモーだけだそうです。だからなかなか困るんです。
聞き手  昔、太地かどこかで保存してたのを頂いて何とかまかなった...
文雀  そうそう、今も文化庁からお願いして、昔捕鯨船に乗っておられた方から譲ってもらったりしてるんです。織物でも昔に比べて今の織物は打ち込みが足らなかったりね。
米朝  変わりを探すという、余裕もないわな。
文雀  やっぱりこれはこうだからと昔ながらにやってるところに、微妙な良さがあるし、胡粉にベンガラ(酸化鉄)を入れて顔を描いても昔の色とは、なんかちょっと違うような。そういうようなことで今は無い無いづくしの中で裏方さんは苦労して、いろいろやってくれております。

聞き手  今は研修生の方も増えられて文雀師匠からみて後継者という意味ではどうですか?
文雀  若い人がいないんです。今大学を卒業したり、中退したりその年が二十いくつですから、それから10年も足遣うたりすると三十いくつが足遣い...
米朝  ああ
文雀  やはり昔のように小学校午前中行って、午後から来てるとか、高等学校行ってるような連中とか、自分の中で考えるより先に身体が動く。今はそうはいきませんわね。なるほどこうやからこうやなと思うてやっても遅いときがある。
聞き手  理屈で考えたらダメなんですね。米朝師匠がよくそう仰ってますね。
米朝  理屈を知る前に、身体で憶えさせなんだらあかんわな。
聞き手  でもそういう入門もなかなか最近ございませんですか?
文雀  え〜...。去年は一人も研修生おらなかった。みな辞めてしもうた。
聞き手  あ、辞めてしまった。今人形遣いの方は何人ぐらい?
文雀  42〜43人います。
聞き手  数としてはもうちょっとあった方がいいんですか?
文雀  いやいや、今、数ならいいんですけど、足を遣う連中の年齢がみんな上になってるんです。うちの和右でも私のとこ来て25年になりますけど、普通足10年言いますが、あの子20年以上も足遣うてました。
聞き手  20年以上足を!? それもまた大変ですよね。
米朝  よう辛抱しはったな。
文雀  和生でもずいぶん長いこと足遣うてた。
聞き手  今ちょうどお弟子さんで和生さんが一緒に来ていらっしゃるんですけど、主遣いと左と足の、人形遣いの人数はいるけれど、バランスが悪いということですね。でも昔、米朝師匠が書いていらっしゃるのを読んだ時に、「文楽は残ると思いますか?」と言う問いに「一番ちゃんと残るのは文楽やと思います。古い形でちゃんとやればやるほど残ると思います」と仰っていましたが、今でもそう思いますか?
米朝  本人さんの気構えでしょうけどな。やっぱり本当にそんな気で来た人を、その気で来た人が指導したらね、それは立派なものが残ると思いますわ。それからやはり収入の問題ですわ。やっぱり食べていかなならんしやね。この辺りは国がもう少し考えなければいかんでしょうな。
聞き手  いろんなご本を読まして頂いても昔から薄給だけど好きでやってると。そういう人達が守り続けてきたと書いてありましたね。
文雀  でも私の立場ですと長い間安いお給金でしたけど、今になってみますと、この年になってね身体にも不自由なところが出来てんのに、辞めろと言わずに使うてくれるのはここしかありません(笑)
米朝  (笑)
聞き手  師匠、昭和3年のお生まれですから今年78歳ですね。お体の具合はどうですか?
文雀  膝が関節炎でよくないんですけど、手入れして、痛み止め飲んで舞台を務めるんですけど(笑)
聞き手  女形を遣われるときに膝に負担が...
文雀  私の場合は育ち盛りのときにええもん食べてしません。
聞き手  なるほど(笑)
米朝  (笑)
文雀  よう、お芋の干したんや、脱脂大豆やらそんなもんでしょ。
聞き手  それは辛いとこですね。
米朝  あの時分はな(笑)

聞き手  師匠、ま、お好きな役いろいろございますでしょうけど、是非またこれを遣ってみたいという役は?
文雀  それは『関寺小町』とか『玉手御前』とか『道明寺の覚寿(かくじゅ)』、『千本桜の典侍局(すけのつぼね)』、『忠臣蔵九段目の戸無瀬(となせ)』とかね。そういうのが好きですね。
米朝  みんなしんどいでしょうな〜
文雀  ま、おかげさまでうちのお弟子さんがそれを継いでくれるのを思うてますので。とにかく12月に典侍局(すけのつぼね)を和生がうまくやってくれましたのでね、もう安心してますけど。
聞き手  いい後継者の方がね...
文雀  おかげさまで私には二人しか弟子は出来ませんでしたけど、二人とも本当に真面目でね、本当に純粋に舞台を務めてくれてますんでね、喜んでおります。そして私を支えてくれてますんで、本当に結構でね。まぁね、来世というもんがあったら、来世でも人形遣いたいなぁ〜。そして来世でもうちの弟子さん二人に巡り会って同じ舞台を務めたいなと思うようになりました。
聞き手  結構ですね〜。でも益々摂生されましていい舞台を、楽しみにしておりますので。
文雀  ありがとうございます。

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扇子

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