| 聞き手 |
あと、枝鶴になってお亡くなりましたけど、花柳という方もうまかったんですね。 |
| 米朝 |
うまかったですな。あの人はね、『馬の田楽』やとか『正月丁稚』やとかいくつか聞いてますわ。 |
| 聞き手 |
でもわりに浅かったんですか? |
| 米朝 |
そうやね、真ん中より前ぐらいですわ。 |
| 聞き手 |
あとは文次郎という方は見てませんか? |
| 米朝 |
見てますけどね、文次郎はんはね、身体も弱ってたんかな。ちゃんと聞こうと思うてんのに、出なんだりね。 |
| 聞き手 |
あ、出番があるのに。 |
| 米朝 |
体調の都合で誰か...。もちろん変わりに漫才か誰かでたんやけどね。圓枝さんも浅かったですな。三つ目か四つ目ぐらいなもんですわな。全部で14〜5本出てた。本数はね。 |
| 聞き手 |
そのうちの4本ぐらいが落語というわけですね。 |
| 米朝 |
ま、そんなもんですわな。前座の小雀さんが、それからその時分は五代目松鶴師匠。それから千橘っつあんなんかが、間に入ってましたな。 |
| 聞き手 |
その時のトリは落語ですか? |
| 米朝 |
いや漫才です。もちろん昭和の14〜5年ぐらいから、ま、(柳家)三亀松っつあんなんかはね、トリで出ましたけどな。 |
| 聞き手 |
その時の漫才のトリはどなたが? |
| 米朝 |
雁玉・十郎とか、静代・文雄。 |
| 聞き手 |
都家文雄・静代。ぼやき漫才で有名な。 |
| 米朝 |
橘家太郎さんとかね。彦春・太郎。それから三味線の曲弾きみたいなので、賑やかにね3人ぐらいが三丁ぐらい三味線弾きまくって賑やかにばらしにするとか。 |
| 聞き手 |
戦後の音楽ショーでトリ取るようなもんですね。 |
| 米朝 |
まぁ〜そんなもんやね。やっぱりキタとミナミと2軒、代表的な小屋がありましたからな。その時分としてもええ顔ぶれ、並べてましたよ。噺家は五代目ぐらいしかおらなんだけど。 |
| 聞き手 |
入場料、木戸銭は高かったんですか? |
| 米朝 |
1円から1円20銭とか、そんなもんやったと思いますよ。昭和17〜8年になるとね。 |
| 聞き手 |
入って、お茶子さんになにがしかということはなくていいんですか? |
| 米朝 |
もうそれはね、もちろんそんなお客もありますけど、私ら学生みたいなもんやしね、向こうも貰おうと思ってへんけど、それでも一々小さい座布団持ってきて、置いてくれる。でお茶を注文したら、小さいお盆の上に急須と湯のみとのせてね、持ってきてくれます。私ら学生やからそんなんせえへんけど、そういうふうに持ってきたらやっぱりみな... |
| 聞き手 |
渡しますはね。少しはね。 |
| 米朝 |
あの時分やから10銭ぐらいやったんやろうけどな、小さな封筒に入れたり...。何にしてもそうやな〜、昭和19年ぐらいになると、あんまり入りもようなかったと思いまっせ... |
| 聞き手 |
そうですか。ま時代としてそんなとこに... |
| 米朝 |
そうや。ま、顔ぶれにもよるんでしょうけどな。常連のお客なんかも、お茶子も決まってるのがあってね。飛んでいって世話を焼いて、なにがしか貰うんやろうけど... |
| 聞き手 |
そうですね、私のお客さん取らんといて、みたいなもんですわね。 |
| 米朝 |
う〜ん、そんなことせえへん... |
| 聞き手 |
そうですか(笑) |
| 米朝 |
取ったりはせえへんけど、「今日、おとみ休んどるんか?」「お休みでんねん」そんならそれに祝儀をやって、「おとみに渡してやってくれ」ちゅうて、別に出すお客もあったそうです。お客も律儀なもんや。 |
| 聞き手 |
そうですね。キタの花月は夕方始まりの夜終わりですか? |
| 米朝 |
そりゃそうですよ。だいたい5時頃から始まる。でも終演がね、やっぱり戦争の影響で9時に終わらさないかんとか、いうなことになってたらしいです。 |
| 聞き手 |
ということは9時でも早い終わりだったんですね、当時は。 |
| 米朝 |
そうなです。本当は10時ぐらいまでやってたんやろうけどね。やっぱり2足から3足やな、お客さんの数としてええのは・・・。 |
| 聞き手 |
200〜300ですね。 |
| 米朝 |
そうですな。お客の定員というのがね。 |