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スペース 3月18日第97回
〜今週の米朝よもやま噺も、文楽の人形遣い、三世桐竹勘十郎さんです。今週は勘十郎さんが修業時代に受けた『教え』について米朝さんに語るところから始まります。聞き手は大阪ABCラジオのプロデューサー、市川寿憲です。2月27日ABCのスタジオで収録しました。〜
勘十郎  「楽屋で人が怒られてるときに、少々忙しくても聞いとけ」と、「誉められてんのは聞く必要がない」と
聞き手  それ、なかなかええ教えですよね。
米朝  そうですな。そのときは大事なこと言うてるに違いないから...
勘十郎  そうなんですよ。でもそれがなかなかでけへんのですよ、分かってても(笑)昔の教え方で師匠方も育ってますので、こと細かく教えるという...中にはいてはると思うんですけど、ほとんどの人が「分からんかったら聞きに来い」と『聞きに行けへんかったら分かってる』と言うことなんですよ。あとは盗む、見て盗む、聞いて盗む、そういうやり方だったですね、まだ僕らが入ったときは。
聞き手  ということは教えてくれることは、まずないわけですね。
勘十郎

 まぁ〜ないですね。よっぽどひどいときに向こうから言うて頂くことがあっても、それもなかなかなかったですね。僕もやりましたけどね、朝日座の廊下でね、そろそろ左をやりたいんですけど、分からへんのです。差し金という黒い棒がありますね、その黒い棒を持って左手を操作するんですけども、それの持ち方も分からへん。それは見よう見まねで憶えるんですけど。で「今日から左遣え」ということはありませんので、足遣うてる頃に、左のことも見て盗んどかなあかんのですよ。「お前左持ってみい」と言われたときに持ち方も分からんようでは話しにならんわけで。で、パッと持てたら「お、やる気あるやないか」ということになるんです。「ちょっと動かしてみい」と言われたら、ちょっとした役の左をね、持たしてもらう。それでまた足を遣う。また左の簡単なやつを持たしてもらう。それを繰り返していって、足の回数が減ってきて、左が上達して、足を遣わなくなったら『左遣い』と呼んでもらえるんですけどね。だからいつから『左遣い』というのは無いんです。左あかんかったらまた足に戻されますし。

 である日、『招き』という型があるんです、これがまた難しいんです、何でもない動きなんですけど。見てたらだいたい分かるんですけど、自分で動かしたら「ああかな、こうかな」と。それを教えて欲しいんですけど誰も見てても教えてくれませんから、ある先輩に目をつけてね、ちらっと見たんです。「何やってんねん」という顔で通り過ぎるんです。いつも通る時間は分かりますから、そこでわざとらしくやるんです、何日も。そうするとある日立ち止まってね「また今日もやってるわ」という顔で見てくれるんですが、通り過ぎる。それをしつこく繰り返していると、ある日ね、パッと差し金を取って1回だけやってくれるんです。で、さっと行ってしまうんです。無言ですよ。とにかくしつこくやって、アピールするんです、そんなことをやってました。まともに行っても教えてくれない時がある。「まだ早い」とかね。

聞き手  (笑)
勘十郎  「聞きに来い」言うといていったら教えてくれへんとかね。「今そんなこと憶えんでもええ。もっと憶えることがある。お前にはそれがまだ出来てへん」と言うことなんでしょうね。どの世界でも一緒やと思うんですけど...(笑)
米朝  特に大変やったやろうな。でいつ頃からたとえわずかにしろ給料くれるんです?
勘十郎  給料はね(笑)給料は文楽協会と契約を結んだ時点から。研修生を2年間やりまして、卒業して師匠が決まり契約をすると言うことですね。入ってしばらくしてなんかのインタビューでね、『若い人形遣いが出来た』と云うんで、当時新聞とか雑誌とか取材して頂いたんですけども、そのときに「幾ら貰うてると言うたらあかんねんで」と言われてたんで、「LPレコード1枚分でっせ」と言うたことがあるんです。その頃LP1枚1,500円ぐらいだから、1,400〜1,500円ぐらい貰うてたんですよね。取材してた人がね、「うまいこと答えますなぁ〜」と言うて誉められたことがあります(笑)それでよう憶えてるんですけどね。

聞き手  歌舞伎だと型がありますね。文楽の人形の動きに型はあるんですか?
勘十郎  はい、一応...振り付け物は振り付け通りやるんですけども、時代物は昔からカチッと登場人物の立ち位置とか、出入りは決まってますね。誰の型と云うのは少ないんですけど、女形のさわりなどでは文五郎師匠の型とか紋十郎師匠の型というのは残ってます。全体のやり方としては、名前のついてる型はないですね。ただ振りの一つ一つに名前がついてますんで、特に立役、男役の時代物でよく演じる動きですね、これを僕らも型と言う呼び方もしますけどね。『六方』『かんぬき』『樋口』など...。先日やらして頂いた『奥州安達原』の安倍貞任という役。これも樋口やいろんな型をやるんです。
米朝  大変な役ですね、あれ。
聞き手  僕も拝見しましたけど、いつも顔を上向いて、主遣いですから大変やろと思いました。重たいやろし。
勘十郎  それから『鱶七』もやらしてもらいまして、これも初めてで。
米朝  これも重たそうやな(笑)
勘十郎  もうね、向こうが見えへんのですよ、大きな人形になると。見えてんのは人形の背中ばっかりでね。立ち上がって動き出しますと、相手役も何も見えないんで、勘で、この辺におるやろなというよな...
米朝  うわぁ〜
勘十郎  馴れないと、とてもとても出来ないですね。
米朝  あの人形で一番重たいのはなんですか?
勘十郎  正確に量ってないんですけどね、『首実検』の松王丸。衣装がね、松に鷹、あの織物なんですけど生地も縫いも非常に豪華なもんでね。頭は『百日』で、紫の病鉢巻をしてるんですけど、頭も重たいんです。だから最初あれを持たして貰うたとき、重たいと先輩からも聞いてるんですけども、「上がれへんで」って言うんですよね。「上がれへん」って何やろなと。で首実検で身代わりの自分の子供の顔を見る瞬間があるんです。最後にグーッと頭を下げて行くんですけど、そっから上がってきいへんのです。先輩の言うた「上がらへんで」というのはここやなと(笑)それまでにエネルギーを使い果たしてるんです。だからペース配分と言うか、残しておかないかんのに...。それが済んだら引っ込むんですけど、もう手首も指も握力も無くなってきてるんですね。だから馴れないとああいう物は力だけではとてもとても持てないですね。
聞き手  亡くなりはった玉男さんが80歳になっても松王丸遣うてるなんてのはすごいことなんですね。
勘十郎  私には未知の世界です。あの年齢になるまで33年あるんですけど、33年後私はどこで何をしてるか分かりませんけども(笑)でも自信はないですね。

聞き手  お父様のお名前をお継ぎになったのが平成15年。これはもう次いだらどうやねんと云う気運が盛り上がったというか...
勘十郎  先輩とか師匠とか誰か声をかけて頂いて自分で決めるんですけども、この時うちの師匠から声をかけて頂きまして...。これ、ものすごく悩みましたですけどね。悩むというか襲名ということは考えてもいませんでしたし...。でまぁ、師匠は蓑助なんで、勘十郎はその兄弟子にあたりますけども師匠ではないんでね。父親ではありますけどその名前を私が継いでいいものかどうか、そういうのも一緒に考えんといかんのでずいぶん悩みました。
米朝  やはりタイミングというものがありますからな。
勘十郎  そうですね、せっかく声をかけて頂いて...。でまぁ〜これが自分の進む道なのかもしれないかなと思いまして、お返事させて頂いたんです。
聞き手  継ごうという、何か大きなきっかけがあったんですか?
勘十郎  襲名は自分の名前にしてしまうんではなくて、預かるということやと思たんです。そう思うとね、ちょっと気が楽になったんです。
聞き手  昔お父さんと玉男師匠がやっていらっしゃった『小割(こわり)』を。『小割』というのは人形の左遣い、足遣いを誰がやるか決める役ですね。
勘十郎  主遣いは配役で出されるんですけど、それに左が、足遣いが誰がつくという...。あと後見、介錯というんですけど小道具を渡したり、裏で助ける人。口上を述べる人。家来の役(一人遣い)を誰が遣うか一公演分決めないかんのです。昔は父と玉男師匠の二人でやってたんですが、父が亡くなりましてから玉男師匠が一人で20年ほどやってました。大変な仕事なんですけどね。
聞き手  でも今、玉女さんとね、勘十郎さんが役の日替わりがあったりいい意味でライバルという形で、お父さんと玉男さんの関係みたいにね...
勘十郎  そうですね、最初の『太功記』のお手伝いのときからずっと一緒にやってますんでね。非常にやりやすいですね。一緒に舞台出ましてもね...
米朝  なるほどな。
勘十郎  なんか雰囲気で分かるんですよ、ああ来るな、こう来るなというのが。そういうのは大事ですね。

聞き手  去年大黒柱やった玉男さんが亡くなりはって、これからが大変やとずっと言うてはりますね。
勘十郎  9月に東京で忠臣蔵の通しをやってたんですけど、なんとか千秋楽まで無事にと思うたら、悲しい知らせが届いて...。本当にいてはるだけでよかったんですけどね〜。残念ですわ、本当に...
聞き手  でもその穴を勘十郎さん達が守って盛り立てていかないかんわけですからね。
米朝  これから大変やな〜
勘十郎  本当に大変です。みんな力合わせて頑張らんと。先輩方が一人二人少なくなっていくとその穴が大きすぎるんですよ。若い人が10人20人かかってもね、埋められへんという方ばかりなのでね。どなたに限らず大事にして頂かんと。この間外国人のマスコミの方とお話しするのが東京でありまして、質問が来るんですよね。むずかしい質問するんですよ外国の方はね...
聞き手  (笑)
勘十郎  自分でも思うても見なかったことを。その時は「300年前からずっと続いてる日本の古典芸能やと聞いておりまして、それは素晴らしいと思いますけども、勘十郎さんはこれから200年300年後、どうしていくべきか、なにかお考えですか?」と言われてね...(笑)「今から200年後300年後のことまで考える余裕がありませんし...」と言うて「何かいい考えがありましたらお教えください」と言いましたけど、そういうこと言われるとドキッとしますね。
聞き手  師匠どうですか、200年後300年後に残すためには?
米朝  明治の末頃から言われてたんやね、これね。「50年先の文楽、60年先の文楽、残ってるやろか?」「さぁ〜」とその時分からみな首かしげてたんやからな。それが何とか残ってきたんやさかいね(笑)まだ残るやないかと思うん...
勘十郎  僕らも何となく思うてるんですけどね、大丈夫やろうと思いつつやってるんですけどね。

聞き手  もう(文楽の世界に)入られて40年。
勘十郎  あっという間でしたね。
聞き手  40年間が早いなと思うということは一所懸命楽しくやられたんでしょうけど、何ですかその惹き付けた文楽の魅力って?
勘十郎  最初の頃思うたのは、ヒーローになれる...
聞き手  ヒーロー?
勘十郎  ヒーローになれるんです、なろうと思うたら。義経になろうと思うたらなれる、弁慶になろうと思うたらなれる、そういう子供の頃の憧れがありますね。『鉄人28号』とか、マンガの世界、空想の世界ですけども、それに近いものでね、一つ僕の中では魅力なんです。よく役になり切れと言われますけど、それが出来るんですね。しかし人形というのは面白いもんで、太夫さんも一字一句、江戸時代から本がビシッと決まっています。勝手に変えることは出来ないで、また崩れてしまっては困るんですけど、この義太夫節の中で人形がどない芝居しようがかなり自由なんですよ。決まってるようで決まってない。
聞き手  ほぉ〜、裁量はわりにあるんですね。
勘十郎  ま、無茶苦茶してしもうたらダメなんですけども、度を外さないと言いましょうかね、浄瑠璃が描こうとしているところからはみ出なかったら、自分でどない工夫してもかまわないというのが人形の世界なんです。これまた魅力なんです。そこまで自分の工夫が舞台で出来ればの話しですが...
米朝  いやそれはやってもらわないかんわけですけど、お客が変わったというの感じますか?
勘十郎  お客さんも変わってきてますね。ずいぶん若くなったというのもあります。外国の方が増えたというのもありますし。昔は女性ばっかりの時があったんです。それも若い人やなしにある程度お年を召した女性の方が多かったんです。最近は若い男性のお客さんが増えた。これは嬉しいです。男の人にもっと見て欲しいなというのがあって...。これは劇場側も金曜日だけちょっと時間を遅くしたりといろいろ工夫をしてるんですけど。若い男の人が来るというのが変わってきたところですかね。
米朝  あ〜、それは大きなことかもしれん。
聞き手  また、学校にも教えに行ってはるんですものね。
勘十郎  そうですね、高津小学校というところに6年ほど教えに行かせてもらってます。
聞き手  子供にさせるんですか?
勘十郎  実際にやってもらうんです、人形の班、太夫の班、三味線の班と。6年生だけなんですけどね。春から始めて11月に発表会みたいなのをして、卒業までに5年生に自分らの習ったことを伝えて卒業していくと言う。
米朝  手応えがありまっしゃろな。
勘十郎  そうですね、子供ですからね、こっちが勉強になることもありますし、教えられることもありまして。大人が分からない可能性をいっぱい秘めてると思います。親御さんもビックリしはる、先生もビックリしはる、「え、うちの子、こんなん出来んの」新たな発見があったりね。で自信が無かった子が文楽の授業でえらい自信がついて、勉強成績もようなったりという子が沢山いてて、嬉しいです。
聞き手  一人、プロの太夫になった子がいるんですよね。
勘十郎  これが嬉しかって、もう...
聞き手  咲大夫さんとこにお弟子になって...
勘十郎  最初に教えた『牛若丸』をね、五条橋で語った子なんですけども、この子が「太夫になりたい」と言うて。で、入門して中学、高校へ行きながらずっと勉強をして、もう初舞台も踏んでますし...
米朝  へぇ〜
勘十郎  豊竹咲寿大夫(とよたけさきじゅだゆう)と名前をつけて頂いて。人形遣いも是非プロがでて欲しいんですけどね〜。
聞き手  そうですね。是非勘十郎さん、目を付けて頂いて、彼がええとか、この子がええと思ったら、一回おうどんご馳走するとかね(笑)
米朝  (笑)
勘十郎  アンケートをとるとやっぱり大阪ですね。お笑い芸人というのがものすご多いんですよ。これは他のとこではないんちゃうかなと思いますけどね。
聞き手  可能性ありますよ。舞台に立とうという気があるわけですから。
勘十郎  だから何かをして人に喜んでもらいたいというね、同じですから私たちと。だからそういう意味ではね、ちょっとこう...(笑)方向を変えて人形遣いになりなさいとうまくね、何とかいってくれないかと...
米朝  やらしたら面白さが分かってくるんやけどな。ちょっとやらしたらね。
勘十郎  子供は古くからあるものも、今ぱっと出来たもんも感覚は一緒なんです。目の前に面白いもんがあったら...。だから「古くさいもんや」というのは大人の考えで、難しさも分かりませんからまだ。そういう時にパッと見てもろうたり、聞いてもろうたり、なるべくしてもらうように、あちこち幼稚園とか回ってますんですけどね。
聞き手  やっぱりみてもらわないとね。
米朝  そうそう、体験するとね、やっぱり触れてみると面白さの分かり方が違いますからな。
勘十郎  そうですね。特殊なもんやないと言う、誰でも出来るということをね、皆さんに認識して頂いて...。ただ難しいこともいっぱいありますけども(笑)
米朝  言葉がわからんだけのことでね。
勘十郎  そういうことをもっと若い人に広めたいですね。
聞き手  若い人に見に来て頂いて、せっかく大阪の芸ですからね。
米朝  手軽に見られるんやからな。それが案外手軽に見られると思わないですから...
聞き手  そうですね。益々頑張って頂いて。本当に今日はありがとうございました。
勘十郎  ありがとうございました。

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扇子

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