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スペース 3月25日第98回
〜今週の米朝よもやま噺は、お花見の話しで盛り上がります。聞き手は大阪ABCラジオのプロデューサー、市川寿憲です。3月6日ABCのスタジオで収録しました。〜
聞き手  今年は暖かい冬でしたね。
米朝  そうです。暖冬やったね。
聞き手  師匠、80年以上生きてこられて、こんなに暖かい冬というのは?
米朝  いやそれがね、寒い冬やら暖かい冬やらあったように思いまんねんけどな、記憶が鮮明でないんです。
聞き手  でもだんだん春らしくはなってきましたですね。
米朝  当たり前と言えば当たり前やけどね。
聞き手 (笑)朝起きたときに急に空気が違うような時はありますね。
米朝  春が来たなとかね。
聞き手  温い空気が蔓延してるなという時とか...。やっぱり人間自身が嬉しくなるんですかね。
米朝  春はね。
聞き手  『春にうかれて』やないですけど
米朝  ほんまに...
聞き手  で、また師匠のお家の桜も...
米朝  桜ね〜。あれがやっぱり(毎年)ちょっとずつ違うんやろうけど、やはり植物は季節を知ってますわな。
聞き手  師匠の家は、ちょうど外からきれいに見えるように咲いてる桜ですからね。
米朝  あれは外面のええ桜でね、家の者には背中向けてるんだ。
聞き手  (笑)だから武庫之荘の米朝師匠の家に行くと、綺麗に咲いてるなぁ〜と外からは思うわけですよね。
米朝  家の者にしたらね、外へばかり愛想しやがって、なんちゅう桜やろうなと思うたことが...。

聞き手  師匠、花見には行かれたりするんですか?
米朝  いや、長いことやってないなぁ〜。家の近所に西武庫公園があるんです。あそこはえらい花見の名所になって、仰山遠いとこからやってくるのはええんやけどね、みんな音を持って来ますのやな。
聞き手  あ、音楽
米朝  ええ。ギャンギャンやかましく(音楽を)かけたりね。で、かんてき(七輪)を持ってきて、すき焼きをやったりね。
聞き手  あ、なるほどね。
米朝  それで、市の方から公園なんてものはちゃんと決まった条例があってね、ここで火を使ってはならんとか、音をならしてはならんとか、やかまし言うたんで、それからあまり来んようになりましたけどな。
聞き手  やっぱり陣取りをしたりしますもんね。
米朝  正岡(容)さんが、「江戸時代のお花見風景というのは東京ではなくなったけれども、大阪にはまだある」と昭和の始め頃に書いてるんですわ。その雰囲気がね、あると。本当に三味線や、太鼓を持ってきたりして、賑やかにやってたらしいです。
聞き手  そういうのを、まぁ〜(今となっては)無理でしょうけど、見てみたいですね。
米朝  もう戦争のために、一切そういうこと出来んようになってしもうたし、世間の雰囲気もそんな花見をやる雰囲気ではなかったんでしょうなぁ〜。正岡容という人が関西におったのは、大正の末から昭和のごく始めでしたから、その時分はそういう雰囲気があったでしょうな。「花暦八笑人の世界がまだここにはある」というて書いてました。
聞き手  大阪にもまだいいもんが残ってた時期ですね。昔伺いましたけど(2006年3月25日放送)、以前は、京都の円山公園で米朝一門のお花見をね、毎年のようにやってらっしゃって。
米朝  いろんな他人(ひと)が寄ってきたりね。「あ、米(べえ)やん」言うから知ってる人かと思うたら、知らん人や...
聞き手  (笑)
米朝  賑やかにやってるさかい、向こうも酒もってやってきたりしてね。
聞き手  そうですね。その時は枝雀さんもざこばさんも...。
米朝  まだ若い頃でね。まだ枝雀も売れてませなんだけども。で、枝雀はまことにああいう席に似合う人間でね、じきにそういう雰囲気にとけ込むんですな。
聞き手  そうですか...
米朝  「わぁ〜、わぁ〜」言うて一番賑やかにいうたり...。
聞き手  で、そこで賑やかに騒いで、祇園に行くわけですね。
米朝  ま、何人かでね。「ちょっと行こか」言うて。そんな大勢行かれへんからね。
聞き手  その当時は米朝師匠がよく呼んでいらした、芸者衆や芸妓さんもお元気で...
米朝  ええ、まぁ〜元気なのもおったし...
聞き手  年齢合わせたら何百歳になるかと言う...
米朝  そうそう、たいがい皆、70(歳)以上と云うようなね(笑)そんなんが寄ってきまんねん、どっかから聞いてね。
聞き手  「あ、米朝さん来てるで」と・・・。なかなか、そういうお姐さんはお客さんを選ぶと言うか、お客さんもね〜...
米朝  そうです。ここへ行ったら、おもろいやろというとこだけ、来よる。
聞き手  やっぱり芸をちゃんと分かってくれる人やないと、向こうもつまりませんよね。今は、芸者衆がお座敷へ出て、芸事を披露するよりも、カラオケのセッティングをしたりですね、ゴルフの話しの相づちを打ったりと、そういうことの方が多いみたいですね。
米朝  まぁ〜それが出来なんだら、商売にならんのかもしれまへんな。
聞き手  ちょっと寂しいですね。
米朝  そのてん、我々はゴルフの話なんかせえへん...。
聞き手  (笑)師匠は一時、そういう古い芸者衆のお話をノートのおつけになったりとか...
米朝  ええ、それはもうちょっと若いときにね、忘れんうちにちょっと書いとこかとかありましたし、昔こんな遊びしてたというようなね。あれは花見とか、そんなんではないんやけど、変な遊びする人があった話しなんかね...。中には(お座敷での)相撲の遊びがあったらしいんです。土俵はこしらえへんやろうけど、また裸にもならんやろうけど。で、塩の変わりに砂糖を土俵に撒いたり、あれは後、難儀したらしいな。
聞き手  そりゃそうでしょうね〜。砂糖を撒くと後の片付けと言うか...
米朝  畳の表替えをせんならんようなことになったらしい。ま、お客によっては畳の表替えは全部引き受けるというのもあったわけですからな。
聞き手  ま、えげつない、どえらい遊びをされる方も沢山いらっしゃったわけですね。
米朝  あったようですな。戦争前の話しですけどな。

聞き手  師匠はどの季節がお好き、というのはありますか?
米朝  それはやはりね、場所にもよるけどね、春から夏やな。
聞き手  はぁ〜。だんだん良くなる頃ですね。
米朝  まぁ〜そうですな。でも、寒なってきたら外でそんなこと出来へんし。そういうのを心得てる仲居さん、古い。あるいは元芸者とかそういうおばはん連中が昔の話しをしだすとな、やっぱり面白いしな。
聞き手  ついつい聞き入ってしまいますね。
米朝  で、「それやろうか」とか。でまた枝雀やざこばもそんなん好きやさかいね。幾らぐらいかとか、高うつくとか、ということは考えてへんさかい(笑)
聞き手  (笑)それは米朝師匠にお任せということですよね。
米朝  まぁまぁ、その時はこっちも「わぁ〜」てな調子やねんけど、後で請求書が回ってきたら、「無理もないなぁ〜」と思うたり...。
聞き手  (笑)
米朝  一番ひどかったのは、(桂)小米というやつがまだ(桂)すずめと云うてた時分にね、あれがバァ〜ん言うてお茶屋の座敷から屋根へ飛び降りた。
聞き手  ほぉ!!!!
米朝  ズボーっと屋根が抜けてね、足が片方入ってしもうた(笑)あれは高うついたと思うわ(笑)
聞き手  「思うわ」って(笑)
米朝  修理費が回ってきたら...。
聞き手  そりゃそうでしょう。弁償せんわけにいきませんもんね。
米朝  そりゃそうや。
聞き手  またすずめ時代もよう飲んではったんですよね。
米朝  もう無茶苦茶でしたしな。でまた、(祇園あたりは)古い建物が多いさかいな(笑)
聞き手  ちょうど修理しようかなと思うてはって、渡りに船やったかも分かりませんね。
米朝  そんなこともあったやろと思うけどね。
聞き手  たまには季節もようなりますから、祇園にでも行ってくださいね。
米朝  祇園あたりはね、やっぱりふらふらとは散策をすると言うたらええけど、ようするにそぞろ歩きを...
聞き手  是非、この番組でまた京都に行きたいと思います。
米朝  はいはい、やろうな、いっぺんな。

〜後半は大正から昭和にかけて活躍した上方の落語家、初代桂小春團治についてのお話です。〜
聞き手  今日はまた「懐かしい音源シリーズ」で、初代の桂小春團治。僕らがよく知っているのは花柳芳兵衛という...。
米朝  踊りのお師匠はんでね。
聞き手  素人名人会の審査員をやってはりましたね。
米朝  そうそう
聞き手  この方の『禁酒』という落語を聞いて頂きたいと思います。
  (レコードから初代桂小春團治の『禁酒』を)
聞き手  これが昭和8年に出ました『禁酒』と言う新作落語ですね。
米朝  ずいぶんこれ、当たったようでっせ。この人がなんか酔っぱらっておまわりさんに引っ張られて、えらい怒られてるのをお客が見て、「あれ、小春團治がやられてるな。“酒飲むな〜”」とコーラスで前を通られた時は往生したって(笑)
聞き手  それだけ売れたんですね。昭和2年に週刊朝日に『禁酒運動』というタイトルで桂小春團治作ということでお出しになって、ちょうどこの時分、アメリカで禁酒法が施行された時なんで、非常に時代を見た作品だったんでしょうね。
米朝  はぁはぁはぁ。
聞き手  インテリ層に受けたそうですね。
米朝  なるほど、なるほど、もう当時新作落語はかなり作ってたはずですが、『禁酒』が一番ヒットやったんやなぁ〜。
聞き手  略歴ですけど、明治37年10月20日のお生まれ。お父さんが芸人なんですね、橘家圓丸。明治42年、数えの6歳小圓丸で初舞台。その後いろんな一門を経て、大正9年16歳のときに初代春團治のお弟子になって、10年に小春團治となります。昭和2年あたりの新作落語で売れて、非常に人気者に。
米朝  SPレコードに残ってますねん。一つだけ憶えてるのは『神戸までの電車賃』「これから神戸まで歩いたらどれぐらいかかりまっしゃろ」言うて、声かけるんです。「そりゃあんた、1時間ではちょっと無理でっせ」で「電車賃ぐらいあげます」「神戸まで歩けんことないと思いますが、お腹が減ってまして、朝食べたっきりで」「そりゃいかんわ」言うて、金貰うたりして。なるほどなと思うてるとまた次の人に同じことを言うてんねん。「あ、これ商売にしてけつかる」と思うて「俺もやったろう」言うて真似してね、「小銭がないんで」「あ、お釣りならございます」が下げなんですけどね。
聞き手  (笑)でも当時、この昭和の始めに新作というのは、よほどの力量がないと...
米朝  東京ではね、金語楼さんが売り出してましたけどな、こっちの方では新作の落語は少なかったと思います。
聞き手  そうですね。初代春團治と云う師匠の下に、二代目(春團治)になられた福團治さんと小春團治という二人がいたわけですよね。小春團治さんは初代に可愛がられたそうですね。
米朝  ええもう、本名林竜男いうんで、「竜男、竜男」言うて、それはえらい可愛がられたそうですね。
聞き手  で、昭和9年に初代が亡くなりまして、そのときに吉本さんが漫才一辺倒になったのに反抗の意味で、吉本を飛び出しはって『小春團治』という名前はお返しになって、本名の林竜男であったり、桃源亭さん生というお名前でもやってらしたらしいんですけど...。
米朝  東京へ行ったりもしたし...。
聞き手  昭和14年に花柳(流)の名取りにおなりになって、花柳芳兵衛と名乗られて、舞踊に専念された、という...
米朝  踊りはもう、本当に小さい時からやってたはずですわ。
聞き手  米朝師匠のリクエストもあって、NHKさんに芝居噺を映像として、また音として残してはりますよね。資料によりますと、芝居噺の文我さんから習わはったということで、『本能寺』『綱七』『昆布巻芝居』が残ってるようですけど。
米朝  いつ亡くなられたんやった?
聞き手  昭和49年8月15日です。享年73歳。でも小さい時からやってらっしゃるから、芝居噺にしても所作でも、綺麗ですね。
米朝  綺麗です。
聞き手  ああいうのは素養と芝居っけと...。
米朝  それと、やはり好きやったんやろうな。好きでなかったらね、凝っていろいろやるところまではいかんと思いますわな。

聞き手  師匠は芳兵衛さんの舞踊を、生でご覧になってるんですか?
米朝  踊りの会へ行って拝見したのは2回ぐらいやったと思いますけどな。私はその時には行ってないんですけど、稽古場へ行ってみんなに教えたり、軽く立ち上がって、という、稽古場での踊りが大変味があったそうですな。いっぺんぐらい稽古場へ顔を出した程度でしたけど。
聞き手  米朝師匠が司会をされた読売の『YTVサロン』。あの催しに花柳芳兵衛師匠がゲストでお出になった回がありまして、それを拝見しました。その時に『忠臣蔵』の五段目を踊られましたね。
米朝  やっぱり「噺家の踊りというものを」と言ったらあれをやってくれはってね。手ぬぐいがいろいろに変わるんですな。鉄砲になったり、最後は猪のしっぽになって...
聞き手  五段目ですから当然、与市兵衛、定九郎、猪、勘平を1人で早変わりするわけですよね。非常に味わい深く拝見しました。
米朝  見てて「う〜ん」と唸りましたなぁ〜

聞き手  (芳兵衛さんの)芸能生活50年の時の会のお話を...
米朝  25年噺家やって、後25年舞踊の世界にいてて、50年という記念の会をやらはったときに、川柳家の岸本水府さんがお祝いの句を送ったんですわ。「持ち替えた扇どちらも宝物」という句でしたな。
聞き手  はぁ〜、いいですね〜。でも初代の文我という方の芝居噺もきっちりお習いになってるわけですし、やっぱりああいう方から伺う話は勉強になりますね。
米朝  部外者という人には分からんことがいっぱいあったやろと思いますけどね、私もいろいろと話をして頂いて勉強になりましたな。何しろ5つや6つの時からずっと踊りをやり、芝居噺をやりしてきたお方でしたさかいな。
聞き手  お稽古をつけて頂いたことは?
米朝  いや、それはないんです。芝居噺の噺は聞かせて頂いたことはありましたけどね、そういうお稽古をちょっとお願いすると一所懸命になって辞退されました。「私はもう、いわば(落語と)縁を切ったんですから」と。花柳芳次郎という師匠のところへ「二度と落語とは関わらない」という誓約書をかわしたらしいですよ。しかし人(先輩)がおらんようになったさかい、関わるも関わらんもない、向こうへでも聞きに行かなんだら分からんことがいっぱいあったんでね。
聞き手  そうですね。晩年、『鹿のかげ筆』という本をお出しになって。僕も読ませて頂きまして、僕らの理解出来ない、大学の講義のようなことも載ってましたし、これだけ深いことをよくご存知なんやなと感心しました。
米朝  何でもよう研究してはりましたなぁ〜
聞き手  今では、大阪の噺家で踊る方は少なくなりましたね。
米朝  ほんまに減りました。東京でも減ってますわ。昔は、噺家、よう踊ったもんですけどね。
聞き手  先代の助六師匠が大阪の角座に来て、操りをね。
米朝  そうです。操りやったらウケるもんやからね。あのお方、操りだけやない、何でも踊りましたけどね。
聞き手  『三枚扇』やとか、ちょっとシャレてるのが噺家の踊りなんですか?
米朝  どっか、ケレンがないと。まともな踊りなら踊りのどんな名手が来てるや分からんし、踊りのお師匠はんもいてはるのやから。どこか変わってないと噺家の芸にはならんという...。ま、そういうこと、よう言うてましたな。少々下手でもそういう趣向があればね、許されると言う...
聞き手  若い人にもそんな芸を見せて頂きたいですね。
米朝  そうですな。

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