05/12/10、05/12/13〜05/12/17 放送 バックナンバー
学ばない子供、働かない若者、砂粒化する日本社会を斬る
ゲスト:神戸女学院大学・内田 樹さん
 
『勉強しない子供』『働かない若者』は資本主義の先にいる?
何が何でも生き延びようという意欲の低下は戦後社会のツケ
勝ち組・負け組と言うけれど、いったい誰が勝ち組なの?
階層化というより、バラバラにされる大量の負け組
砂粒化する若者達を救え! 21世紀の寺子屋に期待
 今年も色々な事が起こりました。小泉総理大臣は、誰も考えなかった衆議院のサプライズ解散をやってのけ、その後の総選挙で自民党は圧勝しました。景気は踊り場を脱しましたが、正社員になれない若者は相変わらず多く、『下流社会』という本がベストセラーになりました。それらの出来事は、私達の社会にどのようなインパクトを与えたのでしょうか? あるいは、私達が抱える社会問題に、どのように連なっているものなのでしょうか? 今週は、神戸女学院大学教授の内田 樹さんにお話しを伺います。
■『勉強しない子供』『働かない若者』は資本主義の先にいる?
 先生はフランス現代思想が御専門で色々な著作がおありですが、一番新しい著作が『知に働けば蔵が建つ』ですね?

 「ひどいタイトルだなあ(笑い)」


 そんな事ありませんよ(笑い)。この本は、若い人には経済原理と言うか、ビジネスライクに物を考える人が多いという視点からお話が始まっていますね?

 「そうですね」


 今問題のNEAT(教育を受けていなくて、雇用も無くて、訓練も受けていない若者達)、この人達も実は、資本主義の先を行っている合理的な考えの人達なんだという事が書いてありますね?

 「本当にそうだと思うんですよね。色々な現象って、そこにある構造は共通していると思うんですけど、僕が興味を持ったのは、特にNEATの問題以前の問題としての学力低下の問題なんですね。
 『学びからの逃走』という事を東大の佐藤学先生が言われているんです。それこそ小学校の低学年から学習の動機付けが無くなっちゃって、全く勉強しない子供が出てきていて、高校卒業しても漢字も読めないし、日本の歴史も知らないし、ABCも読めないっていう子供が大量に発生してきているというのがあって。こういうのって、単なる怠慢とか不注意とかという事では説明できなくて、積極的にそういう行き方を子供の方が選んでいて、そういう生き方で良いんだという確信が無ければ、そこまで徹底的に学びから逃亡し、かつその後は労働から逃亡するっていう事はあり得ないわけです。
 ヒントになったのは諏訪哲二さんという方が書いた『オレ様化する子どもたち』という本があって、これはすごく面白い本だったんです。内容をかいつまんで言っちゃうと、今の80年代以降の子供達っていうのは、子供の頃最初に社会関係を取り結ぶのが消費主体としてなのが問題なんだと。
 昔の子供っていうのは、どっちかと言うと、労働主体として人格形成を始めていく。家庭内労働、庭を掃除するとか、靴を磨くとか、お茶碗を洗うとか、そういう事をして認知されていって、労働主体として『なかなか役に立つね』という形で周りからの承認を得ていって、自己同一性を確立していくというコースがあったわけですが、今の子供達って、まず家庭内労働というのはほとんど負担させられない。
 で、今の子供って6ポケットと言って、両親の他に両方の祖父母がいて6つの財布からお金が入ってくるんで、もう就学以前の段階からかなり高額のお小遣いというものを持たされてしまう。それを持って、つまり、どこから湧いたか知らないけれどお金を持って何かを買い物に行くっていうのが、最初の社会関係を取り結ぶっていう経験だと思うんですよね。
その時に、4〜5歳の子供が、お金を持って行って、お金に対してそこからサービスとか財貨とか受け取った場合、何を感じるかと言うと、お金の全能性と言うか、お金があったら何でもOKなんだと感じるわけですね。要するに何かを払うと、それに対して向こうが適正なリターンをくれると。そういう商取引の等価交換の原理っていうもので、人間関係全部考えるようになっている。
 だって6歳で小学校に入っていって、机に座って、先生が『じゃあ、これから平仮名を教えましょう』という時に、今の子供達ってもう机に座っていないそうなんですけども、ちょっと目端の利いた子は手を上げて『先生、平仮名を習うというのは、どんな役に立つんですか?』という事を聞くわけですよね」


 生意気ですね、それは?

 「生意気なんですけど(笑い)、でも言っている事はもっともで。
 つまり子供から見ると、例えば遊ぶ時間を犠牲にしてここに座っていると。それに対して、当然この苦役を相殺するような快楽を先生が提供するというのが当然であると。等価交換ですから。
 子供にしたら、自分が『これは価値がある』と思った技術や知恵を授けてくれるのであれば授業を受けても良いが、何の価値があるのか自分では解らないものに対しては、例えば『50分間黙って座っていろ』と言ったら、『何故その苦痛を私は引き受けなきゃいけないのか』と当然思うわけですよ。
 そうすると、等価交換の原理で言うと、この自分が今ここで感じている苦痛と同じだけの苦痛を、先生にも味わってもらおうとするわけです。今度は苦痛の等価交換ですよね。だから、先生達が自分と同じように不愉快な思いをするために、立ち歩きをするとか、ワーワー騒いで私語をするとか、先生に向かって『うるせえな』と言ったりする。これは、自分が今耐えている不快と同じ不快を先生も耐えるのが、等価交換としては極めて正当な取引じゃないかという考えからなんですね」

▲ページトップへ
■何が何でも生き延びようという意欲の低下は戦後社会のツケ
 ちょっと前から言われている学級崩壊というのは、経済原理、等価交換だったと?

 「学級崩壊の主人公達がNEATになるわけですから。彼らは、途中で変わるわけではない。原理は首尾一貫しているわけで。
 学級崩壊が始まったのって、17〜18年前から、80年代から大問題になってきたわけですけど、要するにその子達というのは、今にして思うと、商取引のターム(用語)とか、等価交換のタームで人間関係考える形で、合理的に考えて、この自分が耐えている苦痛と見合うような快楽が、学校では提供されていないからという事で拒否すると。
 同じようにその後、何とか学校を卒業して就職した場合でも、1時間働いて、1時間分の苦痛に対して、賃金が与えられると『ふざけるな』と(笑い)。『何だこの金は一体』『俺の苦痛と全然これは相殺されないじゃないか』という事で、等価交換として、これは納得できないよという事で拒絶すると。
 それは極めて当たり前の事です。それに対して、やりがいのある仕事で、自分自身が求めているような快楽とか、社会的承認とか、威信とか、情報とか、文化資本とか、自分が欲しいと言ったものが与えられればやるけども、くれないんだったらやらないよという、すごく解りやすいというか、極めて合理的な考え方をするわけですね。
 だから僕が資本主義を追い抜いたって言うのは、全てを商取引、等価交換のタームで考える子供達って言うのは、最終的には必ず勉強しなくなるし、労働しなくなるっていう事ですよね」


 そうすると、今考えられているNEAT対策っていうものは、かなり見当はずれ?

 「まるっきり方向違いと言うか、加速する方向だと思うんですよね。NEATの子供達に向かって、経済合理性で説得して、『頑張ってやると金が儲かるよ』という形で、インセンティヴ(意欲)を高めようとしているんですけど、『お金が入れば良い事があるよ』っていう、お金の全能性自体が、現在のNEATを作り出しているわけですから」


 経済合理性を良く知った上で今のNEATが生まれた?

 「それが、もう骨の中まで染み付いている。金の全能性という事が骨の中まで染み付いている人達がNEATになっているわけですから、この人達に向かって経済合理性で説いてみても、ますます彼らの確信を深めるだけで、『だから働かないんだよ』っていう事にしかならないと思うんですよ。乱暴な意見かもしれませんけど、あんまり効果無いと思うなあ」


 今年を振り返って、内田先生はどんな1年だった思われますか?

 「色々な問題がすごく浮き上がってきたという感じがしますね。まあ、元々今に始まった話じゃなくて、80年代くらいから大きな地殻変動というのは起きてきたと思うんですけど、それが一番弱い世代から噴出してきたっていうか、一番見えやすいところですね。
 18〜19歳から30歳くらいまでの世代っていうのは、一番世の中に出てきやすい方達なんですね。僕の考えですが、日本社会の戦後60年間のツケを一身に担った世代が登場してきたなっていう感じで、僕はあまり若い人達を責める気にはならないんですけどね。君らが悪いんじゃないよっていう。
 僕はね、平和のコストだと思うんですけどね。端的に何が無くなったかと言うと、生き延びなきゃいけないという切実さが無いんですよね。何が何でも生き延びようという、自分自身の生物として個体として生存の戦略をきちんとしてですね、どんな事があっても生き延びるぞっていうような切実さってもう無いんですよね。
 理由は簡単で、もう必要が無いからですよ。安全だから。先進国の中で60年間、外敵も入って来なかったし、国内で大きな内戦も無かったし、通貨の混乱も無かったし、価値観の大変動も無かった国なんていうのは、周りを見回しても無いわけですよ。この極めて安全な国で60年間過ごしてきた結果、やっぱり皆ボヨンとなっちゃった。
 とりあえず普通の人々であれば、何を最優先してどういう風に生き延びようかという事を考えるわけですね。今自分が暮らしている社会のシステムなんていうのは、いつどうなるか解らない。システムがクラッシュしちゃった時に、どうやって自分だけは生き延びようかって事を考えて、色々なシミュレーションをしたり、どんな状態になっても使い勝手が良いような能力を身につけようとか考えるものなんです。
 そういうようなシステムが大きくクラッシュするという経験を60年間全くしてこなかったので、この安全が未来永劫に続くという事を前提にしちゃっているわけで、その中で皆が商取引のタームで考えられるっていうのは、貨幣の価値がゼロになるとか、今持っている貨幣が紙屑同然になって使い物にならなくなるという事はあり得ないという事が前提になっているからなんですね。だから貨幣の全能性を信じられるわけであって、これは完全にもう平和ボケなんですよね、言ってしまうと」

▲ページトップへ
■勝ち組・負け組と言うけれど、いったい誰が勝ち組なの?
 今年は、総選挙はじめ勝ち組・負け組という言葉が浸透したように思うんですが?

 「勝ち組・負け組って言いますけどね、これはやっぱり言葉のトリックだと思うんですよ。だって、勝ち組・負け組って言うとね、全体の50%が勝ち組で、50%が負け組という風にパッと思うじゃないですか。勝負って言うとね、半分勝って半分負けると思うけど、今進んでいるのは、選挙のすぐ後にいしいひさいちさんが朝日新聞の漫画で『これは勝ち組・負け組の二分法が、ボロ勝ち組とボロ負け組の二分法になった』っていう、すごく鋭い分析をしていましたけど、実際にはボロ勝ち組とその他大勢、負けの程度が違う組ですね。そのボロ勝ち組というのは全体の数%で、あと90数%が、グラデーション(濃淡)の差はあるものの、負け組の大集団を構成するっていう形なわけですね。
 これ、話が長くなるんですけど(笑い)、一番いけないのは、自分探しとかね、自己実現とか、自己決定、自己責任という事ですよ。これは80年代、実は中教審(中央教育審議会)とか当時の小渕内閣が言い出したんですよ。御存知ないでしょうけど。知らなかったんですよ、僕もね。『自分探しの旅』って言い出したのは中教審なんですよ。苅谷剛彦さんの本(『階層化日本と教育危機』)に書いてあってね。
 要するに日本というのは、元々集団主義って言われていましたよね。地縁、血縁、共同体、親方日の丸企業とか、非常に家父長的な家族とかいうのがあって、そういうのが個々の自己実現を妨げている。あるいは、まあ護送船団方式とか、談合とか、色々な形で、個性の発現を妨げているんじゃないかと言われていた。
 それがどうも日本社会の活力を損なっているんじゃないかという事で、これからは皆バラバラにやって行こうよという事になった。スタンド・アローンで、自分のやりたい事をやって、その代わり責任を取ると。自分が努力して獲得したものは、全部俺の物と。その代わり、まあちょっと失敗した場合でも責任は誰にも押し付けずに自分で引き受けましょうと、そういう強い個人達が出て来なきゃいけないという形で、構造改革とか規制緩和とかっていうのは、全部その流れで来ているわけです。
 だけど、これってやっぱりね、すごくずるいんですよ。というのは、そういう事をアナウンスしているボロ勝ち組の人達っていうのは、自己決定も自己責任もしていない方達なんですよね。
 だって、例えば今、次の総理に期されているところの安倍晋三さんなんていう人は、三代目か四代目かのポリティカル・ファミリーのお坊ちゃまであって、この方なんて職業選択の自由なんて無いわけですから。今述べている政治的な信条についてだって、おそらくほとんど自由度が無くて、ある種の集団の中の1メンバーとして機能する事を周りから期待されている。自己決定権はほとんど無くて、オプションはほとんど無いんだけども、フリーハンドはほとんど与えられていない代わりに、周りに人から非常に手厚いサポートが得られると。
 それは当たり前なんですけどね、強者連合というのはそういう事で、強者達がネットワークを作る時っていうのは、それぞれが自分のフリーハンドをある程度断念する代わりに、相手から支援され自分も支援する。非常に緊密な相互補助ネットワークを作って、そこで権力も財貨も情報も文化資本も何でもかんでもそこに全部集まってくる。この人達が、実は日本のボロ勝ち組って言うか、階層社会の最上層を形成しているんですよ。この階層社会の最上層を形成している人達が、声を大にしてアナウンスしているのが、『集団を解体して個人で生きろ』という事なんですよね。
 こんなの、考えりゃ当たり前ですけど、生物として生きた場合にね、単体で生きるのと集団組んで生きるので、生存戦略上どっちが有利かなんて事は自明なわけですよね。群れていた方が絶対有利に決まっている。昔は、個々の力が無い人間達でも、お互いに助け合う事によって、何とか社会の中間階層と言うか中産階級を形成していた。そうした人達がバラバラになった結果、一気にダーッと階層化していくわけです。
 自分独りで生きるって、そりゃあ調子が良ければ、働いたら全部給料が入ってきて、その使い道について、奥さんに相談するとか、親父の許可を得るとか、子供の顔色を伺うとかしなくて良いわけで、『俺の金は全部俺のもんだ』と言って嬉しいかも知れないけど、でも病気なったりリストラされたらそれっきりですよね。もう一気にその後誰も支えてくれないから、それこそ1部上場企業のサラリーマンが、一夜明けたらホームレスっていう事もあり得るわけです。
 途中のセーフティーネットが何も無くて、いっぺんにドーンと下まで落っこっちゃうと。こんな事になったのって、ホントに最近ですよ。中間共同体と言うか、セーフティーネットだったものが全部無くなっちゃった」

▲ページトップへ
■階層化というより、バラバラにされる大量の負け組
 今年は『下流社会』という本が話題になりましたが、日本社会も欧州のように階層化してきたんですか?

 「ちょっと、違いますね。欧州の階層社会っていうのは、きちんとした階層があって、上流階級、中流階級ってなっているんです。日本の場合の、今行われているのは、階層化って言うんじゃなくて、勝ち組とものすごい大量の負け組の発生です。
 階層社会とか二極分解って言うと、どうしても両方の局にうまい具合にグラデーションがきれいになっているように感じて、その言葉のトリックにひっかかっていると思うんですけど、実は一極集中なんですね。
 階層化とか、メリットクラシー(能力主義)とか、競争原理とか、市場原理とか言われていますけど、基本的には能力によってきれいにグラデーションの差があるのではなくて、ネットワークを持っている人間と持っていない人間に分かれていて、『個人で単体で生きる』と思っている人間と、『基本的に集団を形成して生きよう』と思っている人間の間に大きく差がついている。
 今メディアが施策的に展開しているのも、基本的にはなるべく人間が個体化していく方向に棹をさしているわけですから、この流れの中で『勝ち負け』とか言って、個人の競争に励んでいる人間は、全員負けるわけですよ。『勝ち負け』言っている人は皆負けっていうのがあって(笑い)、だから言っちゃダメ、勝ちとか負けとか言っちゃダメだよと。『勝った負けたと騒ぐじゃないよ』と」


 どうしてそういう風になっちゃったんですか?

 「1つは一極集中で、どんどん皆弱くなっていくと、まあ収奪しやすいというか、コントロールしやすいというか、日本国民一人一人の生存能力がすごく下がってきて統御しやすくなるという事がありますし。
 あとは、まあ短期的に言うと、生活単位が血縁的な共同体みたいなので1個ポンとあるよりは、皆がバラバラになっている方が、市場としては大きいわけですよね」


 別々に住んでいると、それぞれに家電製品なんかが売れますものね?

 「ただ、これは短期的にはすごく良いんですけど、今御覧の通り少子化というのは、端的に言って皆がバラバラになってしまった事の結果なわけで、新たに共同体を作ろうという能力もないし意欲も無い人達をたくさん作っちゃったせいで次世代が生まれないと。
 まあ言いたかないけど、三洋電機とか家電で潰れかかっているところがありますけど、当たり前なんですよ、80年代にいっぱい売ったからね。皆をバラバラにして売っちゃって、結果的に次世代の再生産という事を怠って、子供がいなくなってしまって、これがだんだん高齢化して、消費行動も控え目になっていって、モノが売れなくなって、若い子も出てこないので、そういう形で一時期マーケットを爆発的に拡大した事で儲かった企業は、皆今がっかりしているんじゃないですか」


 日本を階層社会にしていこうと誰が考えたんでしょう?

 「誰かな、CIAかな(笑い)。でもこれ、あり得るのは、日米構造協議通じて、日本の構造改革とか規制緩和を強く訴えてきたのは米国なわけです。米国から見ると、日本の国力が削がれるというのは、米国の東アジア戦略上は全然問題ないわけですよね」


 日本が国力を増すよりは多少削いでおいた方が良い?

 「かなり削いでおいた方が良い(笑い)」


 日本の階層化っていうのは日本をどんどん弱体化させる?

 「今の流れはそうですね。だって、学力が無いんですよ。学力無くて、働く意欲が無くて、という事は知的なインフラが無くて、全然働いて無くて経験が無いわけだから、当然日本の技術力はどんどん落ちてきますよね。資源の無い日本を支えていたのは、知力と技術力ですから、両方とも今崩壊しつつあるわけですから、日本が2〜3流国にどんどん転落していくっていうのは、時間の問題です。今の流れだったらね」


 これはどんどん加速していくものなんですか?

 「放って置いたらねえ。でもまあ、僕なんかがラジオに呼ばれてこういう事を言っていられるのは、皆、ちょっとまずいんじゃないかなという事に気が付いてきたからじゃないですかね(笑い)」


 『下流社会』と言う本が売れているのもそういう背景がある?

 「やっぱり危機感持っている人達が増えていると思うんですよ。このままじゃちょっとまずいんじゃないかっていう、そういう危機感があるから本が売れるんじゃないですかね」

▲ページトップへ
■砂粒化する若者達を救え! 21世紀の寺子屋に期待
 社会的弱者と言われていたお年寄りとか子供が犠牲になる事件が増えていますが、これから日本社会はどのように弱者と言われている人達と関係していけば良いんでしょうか?

 「見ていると解る通り、弱者が弱者を攻撃するという事ですよね。犯罪の形というのはね。どのようにして、そこまで追い詰めないかという事ですよね。犯罪を犯しているのって、大半が男性なわけですよね。そういう若い男達をどうやって追い込まないかという事が、保安と言うか社会の治安のコストを考えた時に、一番大切だと思うんですよ。
 厳罰化みたいなものには、僕は反対なんです。そんな事をしてもあまり得るものはないと。もっと前の段階で、どうにかして、支えていかなきゃいけないと思うんですけど。
 やっぱり、もっと中間的な共同体というのを、もう一回再構築しなくちゃいけない。本当は、家族や親族とか地域共同体というのが望ましいんでしょうけど。今だって事件が起これば必ず共同体を何とかしなくちゃいけないという形で、皆それなりに行動を起こしますから、それは皆解っているわけですよね。こういう事件が起こったというのは、地域の共同体の連携が希薄になったという事がすごく大きいんだっていうのは解っているわけで、そういう形で、もっとお互いの事に関心を持とうじゃないかというような振れ戻しが来ていると思うんですよね。
 今、自己決定イデオロギーや自己責任イデオロギーの煽りを食って、砂粒化しちゃった若い男の子達がいっぱいいるわけですけど、どうやってある形にもう一回バインド(結びつける)していくのというのが、すごく大事です。
 色々な人がこれから色々な試みをすると思うんですけど、僕が考えているのは、私塾みたいなものね。寺子屋みたいな感じのもの。松下村塾みたいな、吉田松陰のね(笑い)。
 僕なんかは、自分では武道の道場を作ろうと思っているんですけど」


 内田先生は、合気道の高段者、6段でいらっしゃる?

 「早く大学をリタイアして、地元に道場を作ってね。道場っていうのは、学校教育の場ではなかなか難しくなっている事をやれる。そういう身体技法みたいなものっていうのは、すごく真っ直ぐに触れやすいんですよね。人間同士の本質とかコミュニケーションの現場にパッといきなり入っていきますから」


 武道というのは人間対人間の向き合いであると?

 「人間の心身のトータルなメカニズムとスッと触れ合いますから。言葉で喋っているのと全然違いますから。学校で、教壇と教卓を前にして子供達に向かって話すのと、実際に手を取って、投げて固めてというのをお互いに練りあっていくというのは、コミュニケーションの密度が違いますから。
 そういう、地域的なところに拠点を置いた一つの教育機関であり、アジールと言うか、例えば中学生とか高校生が家で親と喧嘩して出てきた時に『まあ、じゃあ、ちょっと道場に寝袋敷いてやるから、そこで泊まれ』とか言える場所にもなり得ると」


 アジールと言うのは?

「避難所ですよね。フランス語で。で、まあ避難所であり、逃れの街というか、そういうものとして機能する。
 あるいは、武道の場合、ある程度長い期間、5〜10年くらいきちんと稽古していると、独立できるような技術も身に付く事があるわけですから。一種の授産施設と言うか、技術を与える機関としても機能するわけだから。
 僕は、寺子屋的なものっていうね、そういうものが自然発生的に出てくるんじゃないかなという風に思っているんですよね」


 公的な教育機関では成しえなかったものというのが山ほどあるわけですものね?

 「そうですね。行政に何とかしろと言う風に、もう言っても仕様がないと。行政は、発想の仕方にちょっと無理があって、今の行政の発想では、そういう階層化の最下層を形成するような若者達というのは、とても救っていけないと。
 その子達は、もっとフェイス・トゥ・フェイスでと言うか、身近なところで、実際に体を接するようなくらい、息がかかるような近いところでやっていかないといけないんじゃないかという事を考えている人が、たぶん僕はたくさん今いると思うんですよね。潜在的に」


 内田先生は考えていらっしゃっても、いるかなあ世の中に?

 「いやあ、いそうな気がするなあ」

▲ページトップへ