05/12/24、05/12/27〜05/12/31 放送 バックナンバー
不肖・宮嶋、2005年も世界の修羅場を行く!
ゲスト:報道カメラマン・宮嶋茂樹さん
 
下手な戦争もかなわない災害被害、各国は連携して備えを!
被災者の心を支えるイスラム教、しかしラマダンで薬が飲めない!?
サマワ到着初日、車両爆破現場取材中いきなり警察に保護される!?
サマワでは親日デモもあった! とっても過激だったけど……
自衛隊派遣延長! サマワの550人の日本人を忘れるな!
 『不肖・宮嶋』でおなじみの報道カメラマン・宮嶋茂樹さんは、兵庫県明石市の御出身。今月上旬、宮嶋さんは、故郷・明石で無料の写真展を開きました。今年も、年初からスマトラ沖地震と津波の被災地、6月から7月は陸上自衛隊が派遣されているイラク・サマワ、10月にはパキスタン地震の被災地と精力的に取材された宮嶋さん。その宮嶋さんに、写真展会場でお話を伺いました。
■下手な戦争もかなわない災害被害、各国は連携して備えを!
 2005年は宮嶋さんにとってどんな年でしたか?

 「正直言いますと、いつもと変わらない物騒な事件、悲惨な事件の連続の年でした。カメラマンが暇になる年ではなかったという事ですね」


 具体的に2005年はどこにいらしたんですか?

 「2005年は津波の被災地で年を明けまして、これはとんでもない年になるなと」


 インドネシアですか?

 「そうです。あちらで新年を迎えまして。正確に言うと、中継の飛行場のあるバンコクだったんですが、バンコクで(新年を)迎えまして、初仕事がインドネシアでしたから、とんでもないお正月で始まりました。
最近ですとパキスタンの地震です。それ以降も多少仕事はしているんですが、印象的だったのはパキスタンの地震という事で、自然災害に始まり自然災害に終ったなと」


 明石の写真展で津波被災地の写真も展示されていましたが、すさまじい状況でしたね?

 「そうですね。2004年12月26日に(津波が)発生して、割とのんびり駆けつけたんですが、それでもアチェは、日本人のカメラマンとして初めての所でした。とても普通のお茶間に流す事ができる映像ではなかったですね」


 見渡す限り遺体でしたものね?

 「人間性のカケラもない現場でした。伝染病の発生が怖いので、媒体となる遺体はとっとと埋めちまえという風な、身元確認もろくにせず、そのままジャングルに穴を掘って、ぼんぼこ埋めていくというような現場でした」


 パキスタンの地震の被災地も取材された?

 「神戸の震災を見るまでもなく、他人事じゃありませんので。ただ日本と全く違う地形で起こった地震の被害という事で、それが何故2〜3万人とも言われる死者が出たのかというのは、私もアカデミックな興味と言えば怒られるんですが、それを持って行ったんですが、全く地震に対する備えが無かった国での被害という事でちょっと考えさせられましたね」


 桁の違う死者が出ましたね?

 「下手な戦争と言ったら、これもまた怒られますけど、それよりもはるかに多くの死者、特にインドネシアは1都市だけで10〜15万人の死者が出る被害という事で、今もう地震に対する備えというのは、どこも真剣にやらなければいけないですね。
 予知も大切なんですが、学者の先生は起きてから『実は』という事が多いですから。むしろ、『ある』という前提で、いつあっても良いような備えをするべきですね。それが文明国の証拠だと僕は思います。
 米国を見ていても、僕は米国のハリケーン取材にいっさい関わらなかったんですが、ハリケーン取材を見ていても、いかに人災、2次災害が起こるかというのは、備えがあるか無いかですよね。
 ですので、米国のハリケーン被害、パキスタンの地震被害、インドネシアはしょうがないにしても、見ていて他人事とは思わずに、やはり各行政府、各警察、消防、自衛隊、各国軍隊がスクラムを組んで取り組むべきだと思いますね。『ある』という前提でね」

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■被災者の心を支えるイスラム教、しかしラマダンで薬が飲めない!?
 現地の人達はどんな様子でしたか?

 「アチェに関しましては、絶望ですね。1ヵ月後に、自衛隊の航空部隊が展開した時にも行ったんですが、1ヶ月経って、全く手が付けられない。手は付けているんですよ、もちろん。でも、規模が余りにもひどすぎるので、おそらく復興はできないような地域も多々出てくると思います。そうなると非常に絶望的ですね」


 発生からまる1年過ぎようとしていますが、それでもですか?

 「今行って、もう一度取材しなければいけないところなんですが、おそらく変わってないはずですね」


 パキスタンに関してはいかがですか?

 「パキスタンの方も、カシミールと言う、あそこもまた物騒な地域で起きたわけですね」


 インドとの紛争地域ですね?

 「ええ。神の配剤と言いましょうか、ああいう所を狙って起こったんじゃないかと言うくらいですよね。あそこも全く備えが無かったわけですし、あんな所で起こると思ってなかったんでしょう。ああいう山岳地帯で陸路が寸断されたらという発想すら無かったんでしょうね。ですから、当然航空部隊が足らなくなる。ヘリコプターが足らない。
 それで援助物資が余るんですよね。援助物資というのは、どうしてもムラができますので、あり余る物資があったら足らない物資もある。物資があっても運べないという、非常にじれったい災害でしたね。
 今もう雪が降っているんですが、しばらく手が負えなくなりますね。ヘリが飛ばなくなりますし、雪ですので当然作業も遅れます。陸路も当然危なくなるというんで、またちょっと停滞し出しているんでしょうが、国民性と言ったらなんですが、割と明るかったですね。
 神戸の震災を私も見たんですが、日本人的な真剣に考え過ぎたうえでの悲壮感というのは、あまりあちらの方々には無かったです」


 パキスタンもインドネシアもイスラム圏で、『アッラーの神様の思し召しだ』というものがあるのかも知れませんね?

 「そうですね。私から言わせると、こんな事起こったら神を恨むのにと思うんですが、お祈りは欠かしませんね。
 特にパキスタンで感じたんですが、援助物資に豚肉を絶対入れないようにと各国政府が気を使うわけです。食料ですから、余分なものから送れば良いものですが、絶対豚肉を入れないようにと。
 そういう方面では真剣なんです。ちょうどラマダン(イスラム教の暦で断食を義務づけられている月)中だったものですから、断食もするんですね」


 そんな悲惨な状況でも断食をするんですか?

 「だから病人が体力をつけられないというので、医者が嘆いていましたね。あと、薬を飲む時に水が飲めないから、薬が飲めない。『そんな事言わずに朝晩ちゃんと飲んでくれ』と言っても『ちょっと飲めない』と」


 イスラム教は彼らの心の支えになるんでしょうが、難しい問題ですね。パキスタンにはどちらからいらしたんですか?

 「陸路で行ったのはほんのわずかで、ほとんどは自衛隊のヘリで現場に乗り込んでいました」


 パキスタン地震の支援で行った自衛隊のヘリですか?

 「そうです。6機いましたので。もう撤収していますが、(当時は)ほぼ毎日乗っていました」


 他のマスコミ社は乗っていましたか?

 「乗ってないんですよね。あんな便利と言ったら失礼ですけど、そういうものがあるのに、あまり他社の皆さんはいらっしゃらなかったですね。最初はちょろっと来て、後は代表取材で乗った時もあったんですが、毎日行ったのは私くらいですね。
 本当に便利ですね。上を飛ぶと(被災状況が)良く解りますね。やはり陸路ですと7〜10時間、しかも道が悪いですが、ヘリだと40分で着いちゃいますし、どんな悪路のところでも降りられますし、ヘリコプターというのはまさに文明の利器だと、ああいう被災地では感じますね」

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■サマワ到着初日、車両爆破現場取材中いきなり警察に保護される!?
 イラクには都合何回いらっしゃったんですか?

 「戦争前から言いますと都合5回ですね。イラク戦争中が1回、その後は3回です。2005年は1回だけですが、6〜7月にサマワにおりました。4週間ですね」


 サマワの陸上自衛隊というのはどんな様子だったんですか?

 「たまたま到着した当日に、例の車両爆破がありまして、それで部隊が外に出ての大規模な活動を自粛しちゃったものですから、3週間はホント行く所がなくて、ちょっと困りました。宿営地がどうなっているか、前回行った半年前とどう変わっているか見たかったんですが。そういうわけで部隊の中の取材がほとんどできなかったんですね。
 邦人に対する国外退避勧告が出ている所ですから、そこにメディアの人間とはいえ、民間人が行くって事に対して日本政府は非常にお怒りになりまして。部隊の方は皆さん親切なんですが、外務省サマワ事務所の方々から警告ばかり受けまして、なかなか取材活動がうまくいかなかったんです。
 車両爆破現場を初日に撮っている時には、そのままイラク警察に身柄を持って行かれまして。のん気に写真を撮っていたら、車で前後をすごい勢いで挟まれて、これは拉致されるのかと心配したんですが、ちゃんと警察署に連れて行かれて。それで、その日は通訳がいなくて」


 宮嶋さん、1人だったんですか?

 「あとはイラク人の運転手ですね。間抜けな運転手。車の運転では役に立つけど、それ以外の事ではあまり役に立たない運転手がいて、意味が解らないうちにムサンナ県の評議会議長とかが来て、何とか通訳してくださったんですが、要は『保護した』と。『車両爆破があったので、日本人だから保護したんだ』と。で、『ここから出て、とっととクウェートへ帰ってくれ』と、日本政府のみならず、ムサンナ県評議会議長からも言われてしまいまして。まあ、そこでのこのこ帰るわけにもいきませんので、4週間なんとか粘りましたけど(笑い)。
 そういう事もあって、それ以降、取材に機関銃付きの車両をイラク警察軍から回してくれたりして。パトカーと警察官と機関銃付きの取材というのは初めて経験しました。でもこれ、かえって危ないんですよね。テロの標的ってほとんどイラク警察ですから。狙うんなら私がいない時に狙って欲しいと、こんな事言ったら怒られますけど、目立っちゃいますんで、あまり行きたくなかったんですが。人の親切ですのでね(笑い)」


 帰国されてから『任務 THE MISSION/自衛隊イラク派遣記録』(祥伝社 4500円+税)という写真集を出版されたんですね?

 「そうです。高い、重い、厚い、3重苦といわれまして(笑い)。売り上げの方が思ったより芳しくありません(笑い)。
 御存知のようにイラク派遣部隊の人達は、特別手当、推定2万数千円を1日につき受け取りますから、帰ってきたらきっと懐が暖かいだろうと。で、自分が写っていたらためらわずに買うだろう、本人が買わなくても家族が買うわという皮算用もあったんですが、ただしこれ写っているのはほとんど北海道の部隊なんですね。で、北海道の部隊は、もう8ヶ月前に帰ってきてですね、特に若い方はもう、車だマンションだってお金をスッちゃって、ちょうどピーピーだったんですね(笑い)。
 おまけに、写真集の出たのが、ちょうど6次軍、兵庫県伊丹の部隊ですね、が帰ってきた直後だったんですが、彼らにしてみると自分達の写真が1枚も写ってないと。当然手に取ったんですが、『何だ、これ。いらないわこんなの』というわけで」

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■サマワでは親日デモもあった! とっても過激だったけど……
 サマワの街ってどんな所でした?

 「私は、バグダッドとサマワ、実質2都市しか知らないんですが、ムサンナ県の県都のサマワは、バグダッドと同じ国と思えないほど治安は安定しております。言い切って間違いないと思います。と言っても、日本の基準から言ったらトリプルAで危ないんですけど。バグダッドと比べると安全でしたね」


 イスラム圏ですから女性が出歩くケースは少ない?

 「いや、出歩いていますよ。髪は隠していますけど」


 女性とか子供が街を歩いて大丈夫なんですか?

 「子供は問題ないです。成人女性も歩いていますね。むしろ、バグダッドの方が派手なオネエチャンが多いですよね。宗教的縛りが首都で弱いですから。ビジネスライクでね、米軍と一緒に仕事する時なんかもありますから。バグダッドではボディコンを見たくらいですからね」


 バグダッドといえども、出歩く事ができないという危なさではないわけですね?

 「そうですね。ただしバグダッドはテロに会う機会がサマワより多い。ただ、それで一歩も街に出ないというほどではないですから。
 サマワはそれに比べると(テロの)頻度も低いですし安定もしておりますね。
 特に自衛隊に限って言えば、武装した集団を待ち伏せしようとか襲撃しようという勢力は、今のところないように思いま。実際、仕掛け爆弾程度ですよね、やられたのは。あとは放物線による攻撃ですね」


 迫撃砲ですかね?

 「ええ。いわゆる放物線を描く攻撃で、自分達は捕まりたくないという攻撃ですね、全て。命を懸けてドコンと来られると怖いものがありますけど、そういう意味では、まだそういう勢力が少ないはずですから、私はそんなに危機感がなかったですね。ただし私みたいな民間人が1人で街にいる分には怖いです」


 陸上自衛隊はサマワ市民からどんな風に見られていたんですか?

 「おおむね好意的だったと僕には見えるんですがね。
 もちろん、あの戦争の支持を表明した以上、占領軍の一員と見られる事は、これはもう間違いない事です。
 それでも雇用が生まれますよね。当時で6000人分と言われていました。それと道路補修で道が新しくなっていますし、そうしますと移動も時間がかからなくなりますよね。
 ま、私がいた頃にあった日本サマワ友好協会は、私が帰った直後、その会長さんのサマワのメインストリートの宝石店が爆破されたり、サドル派らしき団体から『占領軍と仲良くするな』という脅迫状を送られたりして、現在は解散しています。
 だからといって、自衛隊に対してそんな事をしたら、困るのは自分達だって、大部分の人は知っていますね。(自衛隊が)いなくなったら、まず雇用がなくなる。道が良くならない、薬や医療支援が受けられなくなると知っているはずですから」


 先ほど紹介した写真集に親日デモの写真が載っていますね?

 「そうですね。あまり報道されませんね」


 子供達が日の丸とイラクの国旗を持って行進をしていますね。別の写真では、すごく盛り上がった親日デモの皆さんが騒いでいるんですけど、宮嶋さんの写真集はキャプションも非常に面白くてこう書いてある。『デモになると、たとえ歓迎デモでも過激になってしまうところがアラブ人である。車両デモなんぞ日本の暴走族も真っ青、事故を起こしそうになるわ、そのまんま宿営地になだれ込みそうになるわ、シェービングフォームを撒き散らすわ、である』

 「シェービングフォーム撒き散らすと雪みたいになるんですよね(笑い)」


 熱烈な歓迎振りですが、こういう雰囲気もあったわけですね?

 「ただし、これはね、この後ちょっと嫌な事がありましてね。せっかく来てくれたし暑いからという事で、部隊の中に置いてあったアイスを配ったんですね。子供が喜んで食べますわね。そうしたらねえ、ゴミを所定の場所に捨てるという習慣がない。で、ゲートの前に、皆、ゴミとスティックを捨てて帰って行って。あれはもう、私も唖然としました(笑い)。なんて奴らだと(笑い)」

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■自衛隊派遣延長! サマワの550人の日本人を忘れるな!
 12月14日までだったイラクへの自衛隊の派遣期間が延びましたが、どう思われますか?

 「個人的には、さっきの写真集が売れてくれれば良いんですが(笑い)。
 ただ同じ日本人としまして、初めから大義の無かった戦争に支持を表明したとはいえ、日本の国のプレゼンス、存在感を示したわけですね、自衛隊が。かつイラクの人の為にもなっているのなら良いと思うんですよ。
 しかし、今、治安維持部隊としているオーストラリア軍とイギリス軍の動向も考えますと、彼らがいなくなってしまいますと、正真正銘サマワの街の治安維持をできるのがイラク警察しかいなくなってしまいます。そうなった場合、多少不安があります。
 それでも任務を続けるのか、そこでメドをつけて撤退するのかは、そこで判断すれば良い事なんでしょうが、個人的には続けるべきかなという気がしますね。
 むしろルワンダで、自衛隊はもっと危ない所に行っていますので、その時は治安維持部隊が実質無かったわけですから、それでも1発も発砲しないで無事帰国しています。
 ルワンダの時とは比べ物にならないくらい、詳くは言えないんですが、立派な宿営地です。上からの攻撃に対しては、ほぼ防げるそうです。どういう風になっているかについては、私も見せてはもらえなかったんですが、聞く限りではかなり防げるはずです。周囲も非常にハイテクな警備システムを導入して、無人化、またはポイント、ポイントを抑えるようになっています。あらゆる兵器に対応できるはずですので、充分任務を続けていけると思いますから、続けていくべきかなあという気がしますね。
 ただ、大義を考えますとねえ」


 これは難しいところで、色々意見がありますが、たとえ派遣に反対の人でも自衛隊員がイラクで血を流す事は嫌でしょうからね?

 「それは嫌でしょう、同じ日本人として」


 2006年の宮嶋さんの抱負は?

 「できるならば、私らのような職業のカメラマンが暇になるような年になって欲しいと。心にも無い事を言ってしまいましたけど(笑い)」


 プロですからね(笑い)。

 「まあ、我々が暇になる事は無いんでしょうが、自分達がいかに日本にいる間恵まれた所にいるか、最近本当に感じます。ですので、そういう事を訴えられるような、そういう写真が撮れればと。危ない所ばっかりじゃなくてですね、色々な事を皆さんに知ってもらえればと思っています。
 特にどこそこと決めているわけではありませんが、あまり自分の意見を人に押し付けるのは嫌なものですから、淡々と自分の仕事をして、色々な写真を1人でも多くの人に見ていただくつもりでおります。あまり大上段に言う事は無いんですけどね(笑い)」


 イラクにもう一度行こうと動いていらっしゃったんですよね?

 「いまだにそうです。ですが、日本政府の手が回ったのか、なかなか今、ビザが手に入りにくくなっております。これ、日本政府の方に特に言っておきますけど、やろうと思えばいつでもやれるので(笑い)」


 ラジオで喧嘩売ってどうするんですか(笑い)。

 「金さえ出せば何とかなるので、あまり無駄な事は止めていただきたい(笑い)。
 ただ、これ幸いと私も行かないで済んだとホッとしているところがあるのもホントです。(ビザが)出ないから行かないで済んだって。
 でも、それじゃ駄目ですから、特に12月の節目の時には行きたかったんですが、幸か不幸かそういう状況で行けなかったものですから、今どうなっているのか、550人の日本人、550人ですからねえ忘れられてもらっちゃ困るわけですから、民放さんが行かないんだったら私がぜひ行って、代わりに見てきたいと思いますんで、(ビザが)出れば行ってまいります」


 危険な所ばかりいらっしゃるんで、2006年もぜひ健康には気をつけてくださいね。

 「ありがとうございました」

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