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07/09/04〜07/09/08 放送 バックナンバー
防災の日SP! 中越沖地震現場報告
ゲスト:防災危機管理ジャーナリスト・渡辺実さん

リポート:南出拓平記者

聞き手:高橋大作アナウンサー、戸石伸泰記者
 
被災直後に水不足! 3年前の教訓生かされず
いつまで板敷き? 避難所に高齢者への対応が必要
『前にあったからもう来ない』という油断は関西にも!
被災1ヵ月後に出てくる将来の生活に対する不安
避難所でも必要なのは『日常生活のゆとり』
 先週土曜日9月1日は『防災の日』でした。日頃怠っている、地震などの自然災害に対する備えを改めて考える時です。今週は、7月16日に発生して、死者11人、全壊家屋およそ700世帯、被災した家屋は9000棟以上に登る新潟県中越沖地震の被災状況について、直後に現地、新潟県柏崎市に入ったABCの南出拓平記者に、そのときの被災者や避難所の状況を聞き、同じく直後に現地に入った防災ジャーナリスト・渡辺実さんに、地震災害への備えと被災したときにはどうすればいいのか、この地震から学び取れる教訓についてお話を伺います。
■被災直後に水不足! 震災の教訓生かされず

 まずは、ABC南出拓平記者のリポートです。
 南出記者は7月16日、午前10時13分の発生直後に現地に向かい、午後8時ごろに現地に到着。そこで被災した現場や、避難所の取材に当たりました。被災者の多い新潟県柏崎市の避難所、柏崎小学校の様子を聞きました。


 高橋アナ「困っていること、これがないと困るというものは一体なんだったのですか?」

 南出記者「僕も最初驚いたんですけれども、比較的、食べ物とか飲み物、コンビニの弁当とか、おにぎり、パン、そういうものは僕の知る限りではすぐ配給されていたみたいです。食べるものにはとりあえず苦労はしていなかったと皆さんおっしゃっていましたけれども。
 一番欲しいというか、ないと困っているものは、水ですね。しかも飲み水やお茶、ジュースはあるんです。そういうものはすぐ配給されていたんですけれども、いわゆる手を洗う水もなければ、もちろんシャワーも浴びることができない。しかも暑いところ、暑い時期でしたし」


 高橋アナ「トイレもありますしね?」

 南出記者「トイレの後、手も洗えない。そういうところに、衛生面でも気持ち悪いというか、一番困っていたとおっしゃっていました」


 高橋アナ「皆さんどうしていたのですか。そのまま我慢するしかないという状況だったのでしょうか?」

 南出記者「そうですね。皆さん『仕方ない』と。こういう状況で『仕方ないから我慢する』と」


 高橋アナ「どう思います。南出記者が見てきた限りで、こういう備えをしていたら防げたのではないだろうか、と考えられることはありましたか?」

 南出記者「正直なところ、大量の水がすぐに用意できれば理想だとは思うんですけれども、冷静に考えると、シャワーを浴びる水であったり、そういうすべての水をあらかじめ準備しておくのは、不可能に近いのかなと(思います)。
 ただ、それでもどこかに、そういう時のために水を貯めておくとか、そういう備えがあれば、もう少し良かったのかなと思います」


 柏崎市は、3年前に起きた中越地震でも被災した地域でした。
 防災ジャーナリストの渡辺実さんは、南出記者の到着とほぼ同じ頃に、柏崎市に到着したのですが、そこで3年前の地震の教訓が活かされていないことを目の当たりにします。

 渡辺さん「僕は直後に東京をたって、約9時間後に柏崎市に入りました。
 市役所にうかがったときに、なんと正面玄関のガラスに『水の配給は終わりました。給水車が避難所を回っています』という張り紙がデカデカと貼ってあったんです。9時間後ですよ。たかだか9時間後にもう水がない。
 それで市の職員に『これはどういうことか?』と聞いたんですね。すると『備蓄していた飲料水があっという間になくなりました』。つまり行政が、あの3年前に新潟中越地震、同じ新潟県内で起きた大災害、あの時にもやはり飲料水の問題、食糧の問題があったわけですね。それで、あの時に備蓄しようと約束したはずなんですけれど、実は柏崎市役所は少なくとも9時間目に、備蓄していた飲料水が底をついていた。
 これが被災地に入ってとにかく驚いたことがそのことです。市民も行政も3年前の教訓が、同じ新潟県の中で起きた大震災だったにもかかわらず活きていない」

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■いつまで板敷き? 避難所に高齢者への対応が必要

 ABC南出拓平記者のリポートです。南出記者は、発生翌日から被災者の多い新潟県柏崎市の避難所、柏崎小学校の様子を取材していました。避難所にはご高齢の方が多かったそうです。


 高橋アナ「やはりご高齢の方が大勢いらっしゃったと思うんですけれども?」

 南出記者「ご高齢の方が多かったですね。若い人は、後で避難所で見たくらいで、最初は僕が行った街には、60歳より上と見受けられる方が多かったです」


 高橋アナ「西本町、このあたりの被害が大きかったという所なんですが、小学校はもう避難所になっていたんですか?」

 南出記者「そうです。小学校が避難所になっていました」


 高橋アナ「避難所の状況というのは、当日はどうでした?」

 南出記者「(地震発生の)当日は避難所には行けなかったんですが、翌日に行ったら多くの人が集まっていまして、ごった返していましたね」


 高橋アナ「皆さん自分の場所を確保して、家族とともに語らっているというような状況だったんですか?」

 南出記者「そうですね、僕が行ったのは(地震発生の)次の日だったんですが、皆さん寝そべっていましたね。それぞれ1畳くらいのスペースが個人に与えられているようなんですけれど」


 高橋アナ「1畳くらいですか?」

 南出記者「1〜2畳、1人が寝れるくらいのスペースで」


 高橋アナ「お年寄りは何をなさっていたのですか?」

 南出記者「朝のうちに壊れた家などの掃除をしに行って、たぶん昼からは体育館に戻ってきて、寝そべっていたり、あまりやることがないというような感じで」


 高橋アナ「何もできない?」

 南出記者「何もできないという状況ですね」


 防災ジャーナリストの渡辺実さんは、今回の地震で作られた避難所は、12年前の阪神大震災から設備の面で何も変わっていないと指摘しました。そして、高齢化社会に対応した避難所の運営をするべきだと提案しています。

 渡辺さん「現実があまりにも厳しすぎますよね。12年前の阪神大震災の時というのは、もちろん高齢者の方も被災されているんですが、世代を超えて(ものすごい規模でしたからね)被災されていましたから、そのこと自体あまり大きな問題としてクローズアップされていないんですが、能登と新潟中越沖(の地震)は、まさに高齢化社会そのものが被災した。
 能登の場合には、限界集落といって、高齢化率がものすごく高いところが被災していますから、阪神のときの環境とは全く違う環境が、今の柏崎もそうです、刈羽もそうです、現象として起きているんですね。国の制度もそれに合わせた制度を早急に作らないと。
 よく考えてみてください。これからの社会は、それ(高齢化社会)が普通なんですよ。全国どこで、これから次に起きる災害でも、高齢者が被災するということが当たり前になる社会。ですから防災対策全体を、当たり前の高齢者が被災をするというところに照準を合わせた対策を打っていかないと、同じ間違い、同じ苦しみを被災者に与えることになる。
 例えば避難所に行くと、相変わらず体育館の板の間の上に、直後は毛布ですけれど、一日くらいすると最近は畳が敷かれるようになりました。しかし、刈羽小学校でもそうなんですが、あそこに入ってらっしゃる高齢者の方の、地震が起きる前の日の生活というのはベッドで、椅子で生活されているんです。そういう生活をされている方たちを、ああいう避難所というところに入っていただくときに、なぜ相変わらず畳の上に、彼らを座らせるか寝るしかないという体位しか取れないような、避難所環境をいつまで続けるんですか。
 これは解決策としては、簡易ベッドがあるじゃないですか。こういうものを体育館の中に並べて差し上げる。あるいは椅子になるようなものを準備して差し上げる。このことによって、今までは椅子の生活をしておられた高齢者の方が、もう寝るか座るかしかなくて、体力的に参ってしまうわけですね。
 ですから、旧態依然の災害救助法という法律で、延々、避難所の運営、オペレーションが同じパターンで繰り返されている。もうそれを変えたっていいじゃないですか」

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■『前にあったからもう来ない』という油断は関西にも!

 柏崎市では3年前にも中越地震で被害にあいました。ABCの南出拓平記者は今回の被災された方の話しを聞くとともに、被害の大きかった地域を歩いて回りました。そこで、被災した住宅に共通した特徴を見つけたそうです。


 高橋アナ「新潟では3年前にも地震がありました。その被災者、今回も不幸にして被災された方は、3年前の地震のことをどう思っていらっしゃったんですか?」

 南出記者「皆さん、おっしゃるのが『3年前にあったから今度は新潟ではないだろう』と」


 高橋アナ「油断していたということですか?」

 南出記者「話を聞いていた中では、まさか来ないだろうと思い込んでいた人が多かったです」


 高橋アナ「現場としては『来てしまったら仕方ない』という状況なんですか? 個人として、できることはないんでしょうか?」

 南出記者「ちょっと大きいことになりますけれど、壊れていた家を見ると、ほとんどが昔の土の壁の家と木造の中でも年数が経っている、そういう家だけが壊れている。新しい家は、ほとんど全壊はなかったと感じました。
 お金があって、多少の余裕があれば、耐震がしっかりされた新しい家に住むというのがもちろん一番。個人ができることは、最初の揺れですぐ壊れたということは少なかったと思います。揺れた瞬間にすぐ外に出るという危機意識を持っておくことが、個人ができる精一杯のことかなと(思います)」


 防災ジャーナリストの渡辺実さんは、3年前の地震の教訓が活かされていれば、今回の地震では防げたはずの被害が数多く見られたといいます。渡辺さんは、『まさか、もう大地震は来ないだろう』という油断は禁物だと話し、12年前の阪神大震災の被災地でもある近畿に住む我々も例外ではない、と警告します。


 戸石記者「現場をご覧になって、中越は3年前にも大きな地震がありましたね。地元の方が『まさか、また来るとは』といっていた報道されていましたが、現状はどんな様子でしたか?」

 渡辺さん「おっしゃるとおり3年前の教訓が全く活きていない被災地でした。
 約1300人の方たちがケガをされているんですが、ケガをされた原因の多くが、家具でケガをされているんですね。つまり、転倒防止。これも3年前の新潟中越地震のときに、ケガをするから地震に対して家具の転倒防止をしようということを約束したはずなんですが、市民もそれをやってくれていない。
 避難所にうかがって、何人もの方とお話をさせていただいたら、異口同音、行政の職員もそうですが、『まさか新潟県内で、また地震があるとは思ってもみなかった』と。
 これはエクスキューズ(言い訳)にも何にもならないと思っているんですが、しかし(水の)備蓄をしていない、家具の転倒防止をしていない、さらにたくさんの家屋が全壊をしていますから、耐震補強も診断もやっていない。これの背景に皆さんがおっしゃる『まさか新潟でまた地震があるとは』がある」


 戸石記者「何十年に1度の地震が、ついこの間、3年前に起きたんだから、もうしばらくは起きないよと思い込んでいたということですか?」

 渡辺さん「だと思いますね。この現象は、実は新潟だけではなくて、このABCの放送を聴いていらっしゃる関西も、実は12年前の阪神大震災を引き起こした兵庫県南部地震がありましたから、我々もそのあと何度も関西にうかがって、いろんな方たちとお話をさせていただいておりましたが、『もう関西には地震がない』と思っておられるリスナーもたくさんいらっしゃると思います。
 これって地震の静穏期だったら、あれだけの大きな地震は起きないと思っていただいて良いと思いますが」


 戸石記者「そんなに起きていない静かな時期であれば?」

 渡辺さん「地震というものは繰り返し起きるという性格を持っていることは、多くのリスナーの方もご存知だと思います。
 今の時期は残念ながら地震の活動期に入っているんです。この活断層が動いた、この地震が起きたから、もうこの地域には地震はないという時代ではないんですね。
 特に関西の皆様は、これから南海トラフ沿いの超巨大地震が控えています」

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■被災1ヵ月後に出てくる将来の生活に対する不安

 ABCの南出拓平記者は、今回の地震で壊れた住宅の被害を目の当たりにしました。地震から1ヶ月半が過ぎましたが、大きな被害を受けた自分たちの生活をいつになったら立て直すことができるか、南出記者は被災した方々の不安の声を聞いたと言います。


 高橋アナ「余震も襲ってきたと思うんですが、取材していて揺れた瞬間はありましたか?」

 南出記者「小さい余震は何十回と感じていまして、もう麻痺してくるんです。ずっと感じていると震度2や3とかは」


 高橋アナ「それは感じないということですか?」

 南出記者「一応ちょっと揺れたと思うんですけれども、『ちょっとしか揺れていないな』という感覚に。
 避難されている方も、(震度)2くらいであれば、『ちょっと揺れているな』とあまり怖がっていなかったように感じます」


 高橋アナ「実際、目の前で余震の時に崩れた家屋もありましたが、それも取材されましたか?」

 南出記者「決定的に余震で崩れたというのはないんですが、きしんでいる家というのはありまして、半壊くらいになっていましたら、ちょっとした揺れや雨で、風はないと思いますけれど、ちょっとしたことで崩れるんで、ミシミシいっていて、あらかじめ入れないようにしていまして、ドアの隙間とかが空いているんです。一見、遠くから見たら壊れていなさそうな家も、良く見ると危ない状況というのも感じまして」


 高橋アナ「あと、いっぺん揺れてしまったらこれは崩れるな、というような?」

 南出記者「そうですね。だから実際倒壊した家屋以外でも、半壊(の家)は、一見住めそうですけれど、よく考えたら住めないですね。いずれ壊さないと、ずっと住み続けるのは危険だなと」


 高橋アナ「被災者の方にも、大勢の方からお話しを聞いたと思うんですが、重苦しいというか、心を閉ざされていましたか?」

 南出記者「僕も最初は重苦しい空気だと思っていたんですが、皆さん、こういうあまりに大きいことなので、逆に『仕方ない』と、こういう状況の中で頑張るしかないという前向きな様子が印象に残りました。
 ただ、やっぱりよく話を聞くと、特に高齢者の方たちは『この先どうしようか』と。いくら補償が多少出たとしても、その家をまた建て直すというお金もないし、例えば高齢者一人でこの後どうやって生活していこうかと、よく話を聞くと、皆さんおっしゃっていましたね」


 高橋アナ「発生した日は『どうしよう』という心で、心が落ち着いてきたときに、さらに不安になっている。まさに1ヶ月経った今がそういう時期なのかもしれませんね?」

 南出記者「そうですね。今まさに現場に行って、もう一度話を聞きたいというのが正直な気持ちですね」


 防災ジャーナリストの渡辺実さんは、大きな被害を受けたショックで、自分たちの生活を取り戻す余裕が持てない被災者の表情を感じていました。
 自分たちの生活を取り戻すのは1ヶ月を過ぎた今頃からのことで、それまでは生きていくのに精一杯だろうと、渡辺さんはみています。


 戸石記者「昔の方々は、地域によって高齢者の方が多い地域もたぶん新潟ではあったと思うんですが、おじいちゃん、おばあちゃんが、震災もそうですけれど、戦災も経験されている方々が、焼け出された、今回の場合は地震で家を出ざるを得なくなった場合に、お年寄りの知恵が避難生活やそういうところで役に立っているというケースはなかったでしょうか?」

 渡辺さん「(地震発生)直後はそんな余裕はないですよね。
 つまり、お年寄りが自分の家がペシャンコになってしまって、目が虚ろになっているお年寄りが避難所にいっぱいおられました。それはまだ現実を受け入れられない、目の前で起きたことが受け入れられない。そのことに対して、知恵を出そうとかいうような余裕なんで全くない。
 これは巨大地震が起きたときはいつもそうなんですけれど、少し時間が経ってくれば、例えば1ヶ月、(震災が起きてから)今1ヶ月が経過しようとしていますけれども、そういう少し時間が経過したところで、いろんな昔の体験から、こうしたほうが良い、ああしたほうが良いというアイデアが出てくるという局面は、過去の災害から我々は経験させていただいていますけれども、まだ残念ながら新潟中越沖地震で言えば、まだ余裕が出てきていない状況ではないかと思いますね」

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■避難所でも必要なのは『日常生活のゆとり』

 ABCの南出拓平記者は、避難所生活の中で心の温まる光景を目にしました。ショックを受けている被災者にとって、精神的なゆとりが如何に大事なものかを感じる光景だったそうです。


 高橋アナ「避難所で見た風景、状況なんですが、日が経つにつれ変わっていったんですか?」

 南出記者「そうですね。最初の頃は皆さんあわただしくて、バタバタされていたんですけれど、3日目くらいになったらある程度落ち着いてきまして、ボランティアの人が体操をしに来たり、余興で大きい体育館の前で手品をしたり」


 高橋アナ「体育館の前で、反応はどうでした?」

 南出記者「高齢者の方が多いので、皆さんやることもなくて暇というか、退屈してきたところで、皆さん一緒に体操をしたり、手品に対して拍手をしたり」


 高橋アナ「そうですか」

 南出記者「何もしていなくて、ずっと寝たままでというと、精神的に参ってくるのではないでしょうか。そういうことを鑑賞するような感じで、良い感じで皆さん笑ったり、体を動かしたり、そういうことをしていました」


 高橋アナ「精神的な疲れは、それで大分癒えたと」

 南出記者「そうですね。助けにはなったと思っています」


 防災ジャーナリストの渡辺実さんは、避難所での生活に工夫が必要だと提案します。その工夫は、高齢の被災者に活力を与えるだけではなく、防災対策とはどうあるべきかという大問題に対する答えになると、渡辺さんは指摘しました。

 渡辺さん「(地震の発生する直前の)10時ジャストの時には元気なじいちゃん、ばあちゃんだったわけですよ。ところが地震とともに、ああいう形で避難所の中に置かれて、それこそ3食付いてという形にしてしまうのが日本の避難所のオペレーション(運営)のやり方です。ですから、生活のリズムを変えてしまうことによって、高齢者の方たちの老化が進んでしまう。
 これも高齢化社会の避難所のあり様としては、オペレーション(運営)を変えないといけないと思っているのは、(地震発生の)直後は仕方がないですが、お弁当やパン、おにぎりの配給でしのぐ。しかし、それ以降、2日目、3日目以降からは、もうキッチンを用意するんですよ。ああいう、特に農村地帯ですから、食材は山ほどあるわけです」


 戸石記者「畑に野菜は山ほどある?」

 渡辺さん「はい。ですから材料を提供して差し上げて、皆さんどうぞ好きなときにクッキングしてくださいと。
 とにかく、彼らの10時13分の直前の環境をできるだけ早く作ってあげること。
 とにかく、被災者はじっとしていなさい。食料・水は行政の方で提供します、というこのパターンを変えなきゃいけない」


 戸石記者「ものすごく良くわかる話ですね。日頃の自分の生活のリズム通りのことをしていたほうが良いという。そういう意味ではすばらしい提案ですね。
 それと、自ら調理することによって、私たちがこだわっているお年寄りならではの生活の知恵、その土地でこの暑い時期に、こんなことをすればお腹も壊さないし、ご飯も傷まないよと。例えばお酢を使う料理を増やすとか、そういうものが活きますよね」

 渡辺さん「それも3年前の新潟中越沖地震のときに、ある避難所ですばらしいなと思って、物に書いたりメディアでしゃべったりしたんですが、配給されるお弁当を、ご飯はご飯、おかずはいろんな種類がありますけれど、種類ごとにありあわせのお鍋やボールなどに分けてしまう。空っぽになったトレーをこちらに置いて、要するにバイキングですよ。それでご飯を食べるテーブルを用意する。それも立派なテーブルではありませんけれども、そこでみんなが集って、『このおかず、まずいわね』とか『これ、おいしいわね』とか言いながら、そういう空間を作り上げている避難所があったんです」


 戸石記者「おもしろいですねぇ?」

 渡辺さん「僕は、防災対策の原理原則は、少し哲学的な話になりますが、災害が起きた瞬間に、どれだけ日常を継続できるかということが、防災対策の原点だと思っているんです。そのために日常、何をするかということが、防災対策の原理原則だと考えています」

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