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07/12/16 07/12/18〜07/12/22 放送 バックナンバー
『ゆとり教育』は間違っていない!
ゲスト:京都造形芸術大学教授・寺脇研さん


聞き手:阿部成寿アナウンサー
 
ゆとり教育は『歴史の必然』
成功の秘訣は人の力を借りること
『世界一』を目指すのはナンセンス!?
『楽しい授業』親子は歓迎している!
ひとりひとりにあわせた教育を!
 今月4日、世界各国の15歳を対象にした学習到達度調査で、日本が前回の調査に比べて全分野で順位が下がったことがわかりました。この結果を受けて文部科学省は、「ゆとり教育」の方針を転換して改定しようとしている「学習指導要領」のうち中学校の数学・理科について再来年から前倒しして実施する事を決めました。現在学力低下の現況のように言われている「ゆとり教育」ですが、今週は、「ゆとり教育」の政策に携わった元文部官僚で、今年「それでもゆとり教育は間違っていない」という本を上梓された京都造形芸術大学教授の寺脇研さんに本当の「ゆとり教育」が教育現場で実践されたのか、本当の狙いはなんだったのかお話を伺います。
■ゆとり教育は『歴史の必然』

 寺脇先生は文部科学省にかつていらっしゃいまして、審議官という立場で『ゆとり教育』と言われる『総合学習』を推進されたと。

 「『総合学習』だけではなく、学校5日制とかトータルな(教育)改革をPRする役割でしたので」


 今から10数年前に(担当されていたということですか)。

 「1998〜1999年くらいから担当したのではないでしょうか。10年くらい前ということになります」


 その時の社会状況を見ますと、ちょうどバブル崩壊後で日本経済もかなり疲弊して、その時期にあえて『総合学習』ということを結局導入した。それまでに何か伏線や流れはあったのですか?

 「これはそれこそバブルの最中の、1987年に『臨時教育審議会』というのが1984年から1987年までの間、3年間も議論して、バブルということとは関係なく21世紀の日本がどうなるのか、そこに必要な教育は何なのかということを打ち出したということが1つあります。
 それからやはり、バブルが崩壊したことによって、それまで『すべてお金だ』というみんなの感覚が『いやお金より大事なものがある』と、人間の心や文化、そういうことに目を向けようとしてきたことも、実は『ゆとり教育』を導入するにあたっては良いタイミングだったのです」


 そもそも寺脇先生の頭の中というか、体験的に生涯学習という部分で動かれた時期もおありということですので、そういうところに発想のヒントがあったのですか?

 「生涯学習というのは、『勉強なんて学校の時代だけでごめんだ』という考え方ではなしに、生まれてから死ぬまで何か新しい知識を得ていこう、何か新しいことをやれるようになっていこうということですよね。そういうものがない時代は、『学校を卒業したら勉強なんかしないぞ』と、あとは会社人間、子育てに一所懸命になって、それが終わったら抜け殻のようになってしまって、『濡れ落ち葉族』という言葉が1980年代の終わりには流行語になりました。そういうことにならないように、一生涯にわたって何か学んでいこうと。
 今、団塊の世代の方々が定年退職を迎えていますけれども、やることがないなんていう人はいないですよね。みんな山登りしたり、地域でNPO活動をしたりいろんなことをしているじゃないですか。つまり勉強が苦行ではなくて、『人生の楽しみだ』という考え方に転換していこうと。
 貧しい国では国を豊かにするために、みんな一所懸命勉強して、一所懸命働こうとやってきたわけですが、今の日本のような先進国、豊かな国々、OECD諸国みたいなところはもう豊かになってしまった。だから豊かになるためにしゃにむに勉強したり、働いたりというわけにはいかないと。だとすれば学ぶことは面白い、楽しい、そして『働くことは自分の生きがいだ』と思えるように切り替えていかなければならないということだと思うのです」


 そういう発想の転換を教育現場に持ち込んだということになるわけですね。

 「だからこれは歴史の必然なんです。アジアでもシンガポールや香港のように、今までの日本の詰め込み教育を真似しようと言っていたところが、『ゆとり教育』をやらなければならないという話になってきています。
 それなのに日本がまた、『昔に戻した方が良い』『教科書を厚くしたほうが良い』『授業時間を増やした方が良い』『たくさん詰め込んで、勉強は苦しいものなのだからぎゅうぎゅう苦しめて、子供たちは苦しみに苦しんで力を身に付けろ』みたいなことを言っているのはちょっとどうかと思います」


 時代錯誤と言ってしまってもいいですか。

 「はっきり言って時代錯誤ですね。今、40歳代、50歳代の人たちが社会を動かしている。では今の日本の社会は本当にすばらしい社会なのかというと、政治的にも混迷しているし、さまざまな『偽装』『疑惑』のような話も出てくる。
私たちも一所懸命子供の頃やりましたよ。今の大人たちも若い頃一所懸命やったと思いますよ。ただ、その時の『一所懸命やって、こうやっておけば良い』というのが、今の時代に通用しなくなってしまった。やはり時代が変わってきているわけです」

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■成功の秘訣は人の力を借りること

 『総合学習』を実際教育の場に持ち込みました。これに学校側・現場がどう対応できたのかと(いうことを聞きたいのですが)。

 「これがね……。うまくいっているところと、うまくいってないところがあります。なぜそういうことになるかと言うと、『地方分権』という考え方が強くなっている。例えば、関西では京都市は『総合学習』もうまくいっているし、新しい『ゆとり教育』の理念が実行されていますね。それは京都市の、100万人あまりの市民という中で、みんなが意思決定して『こういうことをやりましょう』『よしOK』と地域の中できちんと議論をして、京都は明治2年に『番組小学校』ということで、国が学校を作れという前から作っていた、そういうコミュニティの中でやっていく議論がある。
 一方、東京では『もうどうでもいいや』と、『自分さえ良ければいい』と、だから『学校を自由に選べるようにしてくれ』とか、あるいは『私立が良いのだから私立へ行ってしまおう』ということをやっている。そういうことの中で今、ある種の混乱が起こっています。
 でもこれは教育が中央集権で、北海道から沖縄まで、北海道では雪が降っているのに、沖縄ではもう暑いのに、『菜の花にモンシロチョウが飛んでいます』という授業を4月には必ずするとか、そういう中央集権の、画一的なやり方を変えているわけですから、その中では過渡的にうまくいくところとうまくいかないところが出るということは、覚悟しなければいけないのです」


 学校現場に『総合学習』を取り入れることでいろんな準備を増やさなければならない。先生方にものすごく戸惑いがあったのではないかと思うのですが。

 「そういう先生は全部ではない。そういうことをおっしゃる先生たちはやはり甘えがあります。つまりそれは公務員の甘えです。
 社会が変化しなかった時代というのは、それで良かったのです。就職してから退職するまで、ほぼ同じ仕事のやり方で成り立っていった。今そうではないでしょう。どんな企業だって、入ったときから退職するまで30年、40年、仕事のやり方が変わらないなんていうことはないのです。だから、学校も仕事のやり方は変わらなければいけない。それができないなんて言っているのは、『公務員の甘え』と言われても仕方ないと思う。
 これが『学校不信』を招いているので、先生たちは真面目で、一所懸命やる気はあるのに、やはり公務員としてのおごり、公務員としての甘えがあるのです。文部科学省も含めてあらゆる公務員が、今『おごり』と『甘え』ということについて『おかしいじゃないか』ということを言われているのですね。
 だから学校の先生もそこのところを謙虚になって、『大変だけれども時代の変わり目だから乗り越えて行こう』というような意識に立ってもらえないのかなと。現実に『総合学習』に積極的に取り組んでいるところは『まずやってみようじゃないか』ということでやってみる。私もいくらでもそういう学校を見て廻っていますけれども、それで忙しくて大変になったということではないのです。
 むしろやってみると先生も楽しい。しかも今までだったら先生が全部背負い込まなければならなかったのを、『総合学習』はいろんな人の力を借りて学校の外の人たちと一緒にやっていくので、そういう人たちの力をどんどん借りられる。かつ、自分たちは今までの学校の先生がやっていた仕事と違う新しい世界を教師自身も見ることができるので楽しい、という声も随分多いのです」

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■『世界一』を目指すのはナンセンス!?

 『総合学習』は何を評価していいのか、どこまで教えたらいいのかというところに戸惑いが確かにあったということなのですが。

 「すぐ『評価』ということを考えますけれど、『総合学習』では基本的に『評価』はしていないので、子供たちにそういう発想を身につけてもらうということです。例えば、先日のOECDのピサ調査(生徒の学習到達度調査)では、日本はいまだに読解力が低いと言われている。読解力というとなんとなく難しい漢字をたくさん知っていることが『読解力』と思われているれども、OECDでは全然そんなことを言っていません。『読解力』という言葉が悪いです。『コミュニケーション能力』と言ったほうがより近いと思います」


 読み解く力というよりも、相手との関わり合いで自分の力を出すということなのですか?

 「つまり、相手の考えを読み取る力、それが『読解力』なんです。相手の考えを読み取る力を持つということは、自分の考えを伝える力を持つということとセットなのです」


 OECDの学習到達度調査という内容ですね。マスコミも大きく扱ったのですが、理数系の学力が低下しているという論調がありましたけれども、これによって『総合学習』にあまりにも偏りの部分があって、(理数系の)基礎学力が落ちたのではないかという意見もありました。(これについてはどうですか?)

 「これも全く違うのです。OECDで見ている3つの力、これはものすごく大事です。日本の子供にも絶対身に付けてもらわなければいけない。だけどそれは従来考えているような理数の力ではない。現に3つのうちで日本の子供が1番低いのは、読解力なんです。実は理系が下がっているというのは全くのミスリードであって、読解力・コミュニケーション能力が低いことにまず、大問題があるということなんですね」


 そのコミュニケーション能力を高めるというところが、『総合学習』の方向性として、1つ大きな流れということですね。

 「そうです。読解力というと『国語』と思うのは違うのです。人の心を読み解く、何かを伝えるというときには絵で伝えることだってあるし、音楽で伝えることだってあるし、グラフで伝えることだってありますよね。
 つまり『国語』の力ではなくて、総合的に何かを人に伝えたり、総合的にものを考えたりする力なのです。だから読解力をつけるためには『総合学習』が何より必要だと。『総合学習』をきちんとやれば読解力は身に付いていくと思いますね」


 実際に国はどのように動いたかと言いますと、今回2011年からの学習指導要領を、前倒ししてでも『理数系の勉強をもっと教えなければいけない』と慌てふためいて対応しているところが見受けられるのですが。

 「そういうところがありますね。行政の側も、今の子供たちの世論ではなくて、今の大人たちの世論に配慮しなければならない。今の大人たちは、申し訳ないけれども古い教育を受けているので、『読解力』と聞いたとたん『国語』の時間を増やせばいいと、『科学的リテラシー』と言った瞬間、『理科』の時間を増やせばいいと。  実は科学的リテラシーを学ぶためには『家庭科』の授業は非常に重要なのです。例えば料理をしていく中で、料理と浸透圧というようなことが、どうしてここに塩をひとつまみ入れるのかというようなことを考えていく中で、科学的リテラシーが進んでいく場面もあるわけです。
 あるいは数学的リテラシーというのは、『算数』の時間だけで身に付くのではなくて、逆に『国語』の時間の論理的にものを積み重ねていくことによって、数学的リテラシーが付く。だから昔の人のように、数学とついたら『数学』だ、理科とついたら『理科』だと細切れのようなことをするのではなくて、そういった力を総合的に使える力を付けていけば、3つの力を共に上げていくことができると思います。
 『世界で何番だ』ということは、私はナンセンスだと思うのです。ではどうなればいいのですか? 日本が世界一になって、他の国が常に日本より劣っているということになればいいと思っているのですか、ということじゃないですか。
 日本が一番になることではなくて、日本の子供も力がつき、中国の子供も力がつき、アメリカの子供も力がつくことが良いのであって、日本が一番で他の国が低くて『やった、バンザイ』というのは、それは日本が世界の大国になろうとして、戦争に進んでいった考え方とあまり変わらないと思うのです」

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■『楽しい授業』親子は歓迎している!

 『総合学習』自体に学校がどれだけ理念が分かって、応えてきたかということなのですが、それはどうでしたか?

 「今度の学習指導要領で、中央教育審議会(中教審)が答申を出しました。『総合学習』を2時間にすると言っていますね。1時間減るように見えますけれども、実は全然違うのです。
 今まで『総合学習』はおおむね1週間に3時間やってくださいと。1週間で3時間やってほしいけれども出来なかったらやらなくていい、とはっきり言っているのです。それは文部科学省が、何分初めてやることなので、いきなり3時間全部ということは難しいだろうから、結果として実質2時間になったり、1時間になっても仕方ないと。あるいは『総合学習』の時間に『英語』の学習をするということもあってもいいと、非常にゆるく設定していたのです。だから差が出てきて、3時間しっかり総合的にやっているところと、ほかのことをやってお茶を濁して実質ほとんどやっていないというところがあった。
 今度の中教審の答申が言っているのは、もう何分初めてのことですではないと。始まってから6〜7年も経っているので、これでできないということはないでしょう。だから2時間は必ずやってください、と。
 『総合学習』というのは、学ぶことの楽しさ、学ぶことの面白さということを、示していかなければならない。もちろん勉強ですから、楽しい・面白いばかりではない、というのは私もそのとおりだと思いますが、楽しいこと・面白いことが何一つないではダメですよ」


 親は『総合学習』の時間の3時間、今度から2時間に削減ということになるようですが、これになぜついていけないということがあるのでしょうか?

 「実は……、ここではっきり言えば、『社団法人日本PTA全国協議会』という団体があります。小学校、中学校のすべての親が入っている団体です。この団体は『総合学習』を減らすことに反対だ、という声明を出しています。かつ、PTAで世論調査をして、お子さんが『総合学習』をやっていることについて肯定的か否定的かを問うたときに、7割を超える親が『総合学習』の価値を非常に認めているのです。『総合学習』は良いことだと、やってくれて良かったと言っているのです。
 実はこの数字がなぜか隠されている」


 隠されている?どこから?

 「それはどこからか分かりませんけれど……。もちろんその調査自体は、きちんと活字になっていますから、報道機関がそれを入手しようと努力をしていないことが1つにはあるのではないでしょうか。
 本当に親はそう思っているのか、というときに、『親』と『大人』は違います。世の中の大人が『総合なんかやっても意味がないよ』という自分に子供がいない人が言っていることと、自分に子供がいて『お父さん、お母さん、総合の時間に僕これをやったよ。面白かったよ』という話を聞いている人、その人たちの声をこそきちんと聞かないといけない。それは7割という数字が、実は出ているのですね。
 結局、誰が一番その評価をするのかというと、第一に子供ですよね。そんな調査は誰もしてくれないわけです。ところが今、世の中でいろんなことを言っている人は、子供ではないし、かつ、子供が小・中学校に行っている親でもない人たちが、いろんなことを言っているのが現状だと思います」


 ミスリードに近いところもあるのでしょうか。

 「私はそう思っていますね。聞いてみればいいですよ、子供に」


 そこで、大阪の街に出て子どもたちに聞いてみました。


(インタビュー)
 総合的な学習という時間があるじゃない。『生活』の時間はどうですか?

 「楽しい!」

 「赤ちゃんのときの写真を持ってきた」

 「俺も!」


 みんな総合的な学習という時間があるけれども、あの勉強はどう?

 「あの勉強は楽しい。いろいろなことするから。パソコンとかも使える」

 「楽しいよなぁ。おもろいよなぁ」

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■ひとりひとりにあわせた教育を!

 では『総合学習』というものは何を目指すべきものなのかということをうかがいたいのですが。寺脇さん自身が目指した『総合学習』の真のねらいは何だったのでしょうか?

 「一言で言うならば、○×でものを考えるのではない、総合的に判断できる人間。残念ながら今の社会は、『あの人良い人なの? 悪い人なの?』と言うということは、○×式、二者択一にものを考える。
 それは冷戦構造があった時代、あるいは非常に日本の社会が貧しかった時代には、『これは○なのだ、×なのだ』とスーッといった方が世の中がどんどん進んでいくという意味で、○×式がまかり通ってきたわけだけれども、これだけ非常に社会が複雑化して、いろんなファクターが入ってきているときには、物事を○か×かではなくて、○の面と×の面があると、それについてどう考えるのかという、その力を身に付けてもらいたいということなんですね」


 その力というものは学校という枠内だけで付くものなのですか?

 「もちろん学校だけではないですよ。家庭や地域社会でも付いてもらわないといけないから、一方で学校5日制ということの中で、土・日曜日に家庭や地域社会の中で、学校ではできないことを、例えば宗教的な体験をするということは学校ではできないことですから、今、学校5日制になって、お寺や神社に子供たちの姿が従来よりはたくさん見られるようになったという話も聞いています。
 そういうことも含めて、考えていかなければならないということだと思いますね」


 では、地域や家庭ということはもちろん含めて、とにかくみんなですすめていこうと。

 「そうですよ。京都市がうまくいっていることも、学校だけがやっているのではないのです。『みやこ子ども土曜塾』と言って、土曜日は地域の人たちが寄ってたかって子供たちのために、例えば将棋が好きな子には『おっちゃんが将棋を教えてやろう』と、勉強がちょっと苦手な子には『分からないところがあったらおばさんが教えてあげるよ』みたいな場を作っていっている。これが大事なことだと思うのです」


 そうなってくると、今の日本の教育に欠けているものがいくつか見えてきたと思うのですが、最も必要だと思われる教育理念、真の、ど真ん中の要素は何でしょうか?

 「理念はただ1つです。できるだけ一人ひとりに合わせた教育をしたい、ということです。一人ひとりに合わせた教育をするためには、手間も、暇も、お金、人手もかかります。だから今度は、教育するのは教師だけとか、親だけに任せるのではなくて、教育再生会議も1つだけ良いことを言っていますが、『社会そうがかりでやろう』というのはね。ただ、『社会そうがかりで子供を見張ろう』というのはおかしいので、『社会そうがかりで子供にいろんなことを提供していこう』と思って欲しいです」


 最後に、非常に大きなテーマで、一言で言えないのかもしれません。教育はいったい誰のために、何のためにあると思いますか?

 「教育は学ぶ人のためにあるのです。学びたいという人があるから教育があるのです。そのことを忘れてもらっては困ります。教えたい人がいるから教育があるのではなくて、学びたい人があるから教育がある。知りたいという人のために先生が必要なのです。先生がいるから生徒が来なくてはならないという考え方は、おかしいのです」


※科学的リテラシー=「自然界及び人間の活動によって起こる自然界の変化について理解し、意思決定するために、科学的知識を使用し、課題を明確にし、証拠に基づく結論を導き出す能力」(文部科学省の定義)

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