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08/03/25〜08/03/29 放送 バックナンバー
中越沖地震から8ヶ月 被災地・柏崎の復興は今
レポート:ABC 阿部成寿記者
聞き手:藤崎健一郎アナウンサー
被災地に心強い防災メディア!コミュニティFM
リスナーからの情報を信じる姿勢が信頼の絆に!
市民サービス低下も!巨額の震災復興事業費用
『負けてたまるか』奮闘!地元老舗酒造メーカー
復興の励ましに!応援歌『私にできること』
 新潟県中越沖地震から8ヶ月がたちました。被害が大きかった海沿いの街・柏崎市では現在も2400人あまりが仮設住宅での生活を続けています。また駅前の商業地域では空き地が目立ち、地震の傷跡がくっきりと残っています。復興は今始まったばかりですが、観光収入の激減に加えて柏崎刈羽原発が操業を停止している事で被災地の経済や雇用、住民の生活に大きな影を落としています。今週は被災地・柏崎の復興の現状と問題点について現地を取材したABCニュースセンターの阿部成寿記者に聞きます。
■被災地に心強い防災メディア!コミュニティFM

 今回阿部さんが柏崎に行って取材してきた中に、中越沖地震のシンポジウムがあったと聞いていますが、詳しく教えてください。

 「これは全国のコミュニティFMの皆さんが集まってのシンポジウム『災害とコミュニティ放送局(主催:日本コミュニティ放送協会信越地区協議会)』で、約130人が参加しました。
 コミュニティFMとはどういうものかと言いますと、全国の市町村にある、それくらいの単位の、狭い範囲で放送しているFM放送局です。
 話し合われた内容はやはり震災報道で、実際に中越沖地震でどういうことを地元のコミュニティFMができたかを検証するものでした。内容を伺うと皆さんとても意識が高いことに驚きました。
 実際に地震・水害などの災害が起きたときに、『地域の皆さんに愛されているというメディアが我々である』という意識が皆さん強かったです。『自分たちが防災メディアである』という意識がものすごく強いんですね。」


 防災メディア、ですか?

 「何かあったときには必ずFMラジオをつけてもらう。その時に聴かれる放送は我々コミュニティFMだ、という意識で皆さんが防災(放送)について取り組んでいるということがとても伝わってきました。
 中越沖地震で被災した柏崎市をカバーする放送局は、柏崎コミュニティ放送、通称FMピッカラです。こちらでずっと震災時から放送を続けていたというパーソナリティに聞きました。震災から41日間連続して震災報道を行った、放送でしゃべった、マイクに臨んだというFMピッカラ船崎幸子放送部長です。」

 (FMピッカラ船崎幸子さん)
 「『まず皆さんは大丈夫ですか?大きな地震が起きたけれども、今この揺れの中であなたは大丈夫ですか?そして、火の元を確認してください。まず、身の安全を確認してください』と言うことから始まりました。
 発生から日を追うごとに、皆さんが欲しがる情報がどんどん変わります。例えば、炊き出し情報から始まるわけなのですが、それがどんどん、コインランドリー情報や入浴情報とか日を追うごとに情報は変わります。リアルタイムにその状況に応じて届けていかなければということで、情報は選んでいきました。」

 「まさに我々が臨んだ阪神・淡路大震災と同じような考え方で災害報道を、情報を皆さんに届けていたということなのです。」


 時間とともに必要な情報が変わってきたわけですね。

 「我々も同じことを経験しているのですが、自分たちがメディアとして何を伝えるべきかということに、いろいろ悩みながらこの41日間放送をしたということです。でもコミュニティFMの財源は、地域の皆さんがスポンサーのCM収入なのです。それを止めての放送ということで、かなり厳しいものがあったようです。
 そういう中で船崎放送部長は、自分たちが考えさせられることもたくさんあったと話してくれました。」

 (FMピッカラ船崎幸子さん)
 「とにかく大変で、逃げ出したかったです。やはり逃げ出したいけれども、目の前を通る人たちが私たちのラジオを聴きながら歩いている。そしてその私たちの情報に基づいて、行動をしているという姿を見ると、逃げ出すことはできませんでしたね。
 やはり、しゃべり続けなければならないという体験は初めてのことですし、楽しいことをお話しするわけでもありません。淡々と情報を届けていく。その中で皆さんが抱えている辛いものが見えているわけですから、淡々とした中に私たちがしゃべり続けなければならないということに辛さがありました。」

 「どうしても『被災地の自分たちだからこそ分かる』という、被災した人たちの気持ち、自分の身に立ち返ると非常に厳しいものを感じた中での放送で、自分たちの放送する姿勢を改めて考えさせられたということがあるようです。」

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■リスナーからの情報を信じる姿勢が信頼の絆に!

 公共機関からの情報を得て発信するだけではなく、例えば、リスナーからの情報を受けて、それを皆さんに伝えるという役割も、今回は果たすことができたのでしょうか?

 「リスナーから寄せられる情報は、中越沖地震発生の1時間後に、携帯電話からのメールで寄せられたということです。『○○で水が出なくなっています』とか、実際に身近な情報が、どんどんFMピッカラに入ってきたということです。
 そのときに、正直、これらの情報をどう扱うか迷ったそうです。普段の我々ですと、そういう情報が寄せられた場合は、『裏取り』をします。実際に、本当にそういうことが起きているのかどうか、正しいかどうかをきちんと調べた上で放送するということをマスコミ、報道機関の人間はします。でも災害時では、連絡を取って確認をしたりすることは、まず不可能です。
 では、何を基準に(情報を)選んだかということなのですが、放送局に(リスナーが)そういう情報を寄せるということは、うそ(の情報)を寄せるはずはない、という見方ができるのではないか、と考えたそうです。実際に(リスナーからの)情報をどのように扱えばいいのかということについて、シンポジウムに参加した放送作家の石井彰さんは次のようにコメントしています。」

 (放送作家・石井彰さん)
「もう、本当に新潟地震の直後に新幹線が停まっている、転落している。いろんな情報が同時に入ってくるわけです。それを実際に調べるにはどうするのだという話になったのですが、そこに行くしかないわけです。
 では、ヘリコプターが行ってそこで(新幹線が)転落しているのを確認するまで情報が流せないのかというと、そんなことはないわけで、『今○○さんからの情報ですが、こういう情報が入ってきました。確認をしています』ということを付けて出せば、僕はありだ(と思う)。ただし、ラジオネームはそのときだけはダメです。」

 「実名で寄せられた情報を扱う。『○○さんから寄せられた』と言うことで、リスナーを信じて情報を出すという方法が、災害時の放送のあり方ではないか、ということで、これは1つ参考にすべきことかもしれません。
 そんな中で実際、(今回の中越沖地震では)情報が寄せられる以外に、いろんな物資が放送局に寄せられました。驚いたケースなのですが、学校の教材で、理科の教材などでラジオを組み立てようという『組み立てキット』を扱っている業者の方が、たまたまこの新潟県内にいたそうです。その業者の方が組み立てたラジオを被災地の皆さんに聴いてもらえるように、と寄せてきたということなのです。
 ですから、物の提供ということもコミュニティFMだからこそ、地元のメディアとして愛されているから、みんな聴いてくれるであろう、活用してくれるだろう、とそういう業者の方々から提供があったということです。この辺が防災メディア、いざ何かあったときに信頼されるラジオ・メディアとしてのあり方。こういうところにつながるのではないかと感じました。」

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■市民サービス低下も!巨額の震災復興事業費用

 中越沖地震から8ヶ月が経ちまして、地元の復興の状況はどのようになっているのでしょうか?

 「被災状況というのは、今復興がようやく始まったばかりで空き地が多い、もしくは更地が多いという話は先週させていただきました。自治体として市がどのように取り組んでいくのか、ということを聞こうと思いまして、柏崎市長の会田洋さんに聞きました。実際の復興の状況について、市長は次のように話しています。」

 (会田洋柏崎市長)
 「去年7月の新潟県中越沖地震から8ヶ月になります。今年を私は復興元年の年と位置づけて、一日も早い震災からの復旧・復興を目指してがんばっているところです。もう少し暖かくなってきますと、今市内には随分、空き地も目立っていますが、こういったところでも住宅再建の槌音が高く鳴り響いてくるのではないかと期待しております。
 被害を受けました道路等の公共施設、こういったものもおそらく来年の今頃までには、一応の復旧ができるのではないかと。それを目標にこれからどんどん進めていきたいと思っています。」


 復興元年という声も今ありましたけれども。

 「各地に『輝く柏崎』という垂れ幕や、『まだまだ!』と書かれた幟が立てられています。皆さんはそれを見つめながら、それぞれの立場での復興・復旧作業に取り組んでいるということなのですが、市内を歩く人たちの表情を見ても、やはり『しんどいな』ということが伝わってくる感じがしました。
 ただ大多数の皆さんは、会田市長の話にもありましたけれども、自分で何とか自力再建をしたいのだ、という意欲を持っているようです。ですから、そこを何とかして行政としてもバックアップしていきたいということがあるようです。
 ただし、そうなりますとやはり、復興にはお金がかかる。全体総額は393億円、およそ400億円もの復興関連事業費としてかかるという見積もりがあります。こういう中でなかなかうまく財源をやりくりするということは大変なようです。」

 (会田洋柏崎市長)
 「一般会計で平成20年度で485億円という規模ですが、今回の震災復旧事業費だけで400億円近い額がそれにプラスされるという状況ですので、これについては随分国や県からの補助金や交付金も配慮していただけるようになっていますけれども、それにしても地元の負担も大変大きい。基金も取り崩しをして、ようやく予算が組めたということです。
 今までやってきた事業を先送りする、あるいは根本的に見直しをして、市民サービスでも落とせるところは落とさざるを得ない、ということで乗り切っていかざるを得ないし、そのことを市民の皆さんに理解していただいて、協力していただく必要があると思っているところです。」


 市民生活にも影響が出るかもしれないという、かなり厳しい中での復興ということになりますね。

 「ですから、福祉関連、健康に関わる予算はできるだけ手を付けたくない、というのが会田市長の考えなのですが、市民サービスに手をつけないという理由はもう1つあると思います。
 それは今皆さんが本当に歯を食いしばって復興に向けて動き出している。心も傷ついている。そんな中で目に見える部分の行政サービスが縮小している、もしくは本当に必要なときに手立てを受けられない。こうなると次へ進んでいく力、この源の部分というものがそぎ落とされる、という感じがするのではないかという気がします。」

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■『負けてたまるか』奮闘!地元老舗酒造メーカー

 柏崎市も復興中ということなのですが、例えば地元に根を張っている企業の復興の様子はどうなのでしょうか?

 「やはりお米がおいしいところ、水が良いところということで、酒造メーカーがあるのです。『越の誉』というお酒を出しています原酒造というメーカーなのですが、柏崎駅の本当に近くにあります。この工場を訪ねてきました。
 社長の原吉隆さんにお話を聞いたのですが、中越沖地震が起きた当時、木造家屋で、屋根瓦が全部中へ落ち込むようにグシャッと潰れているという映像や、新聞に載った写真を見た方もいるかもしれません。実はその建物が、原酒造がお酒を漬け込んで貯蔵しているタンクの入った蔵だったのです。」  


 全部ダメになってしまったのですか?

 「実は原酒造の工場の敷地内の施設のうち、3分の2以上が倒壊してしまったということなのです。そういう状況を経て8ヶ月たって、原酒造がどのような道のりを歩んできたかということを原社長に聞きました。」

 (原吉隆・原酒造社長)
 「こんなもので潰されてたまるか、と。こんなことで先人が築き上げてきたこの原酒造を潰させてたまるか、と怒りに似た気持ちで、ものすごく強い感じが湧き上がってきました。会社も建物も新しく立て直すしかない、と腹をくくったわけです。
 一番苦しかったのは、最初の10日間近く水道水が出なかった(ことです)。この時期が何といっても辛かった。水道水というと、飲み水とかトイレの問題、生活用水の問題もありますけれども、私どもは酒蔵ですので、水が使えないと本当にやれる仕事の幅が狭まってしまうのです。物を洗浄するにしても、冷却するにしても、水が必要だということで、最初の10日間くらい水が使えない時期が非常に苦しかった。」

 「本当に当時のことを振り返って、思いを一つひとつ噛み締めるようにして話して下さった原社長でした。自分が今まで受け継いできた蔵が全部(震災で)やられてしまった。ただ、社員、『蔵人(くらびと)』と呼ばれる杜氏(とうじ)さんの皆さんが全然被害を受けなかった。人的に被害が無かった。
 ただ住宅が壊れて仮設住宅から通いながら、仕込み作業などに当たったという人もいたようですが、被災した去年、なんと9月に新酒を発売したのです。」


 えっ!(蔵の)3分の2がグチャグチャになってしまったのですよね?

 「本来ならこれは無理だと思うのですけれども、そこを建て直して、残った施設をフル回転させて、新酒を間に合わせて造った。『負けてたまるか』と、『味が落ちたなんて言われたくない』という皆さんの一念があったのだと思います。実際のそういう気持ちを原社長はすごく感じていたと言います。」

 (原吉隆・原酒造社長)
 「新米が入ってきて、9月4日に神主さんに来ていただいて『良いお酒ができるように』、また『事故が起こらないように』という安全醸造祈願祭を行うのです。そのときに私が社長ですから、一番前に出て玉串を捧げるのですが、後ろにずらっと蔵人が並ぶわけです。気を感じるのですよ、背中に。うちの蔵人の『とにかく今年は負けられない』と『こんなことには絶対負けない』『絶対失敗は許されない』『がんばる』という気を私は背中にビンビンと感じました。
 そのときに私自身頼もしく感じましたし、とにかく私自身もがんばらねばならないと。まずは雇用を守るという前提の中で、経営再建するということが経営者としては大事だと思っています。」

 「そんな意気込みで作られたお酒、今年も仮設の貯蔵タンク、蔵で今も頑張って漬け込みが行われているということです。」

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■復興の励ましに!応援歌『私にできること』

 地元の酒造メーカーの非常に力あふれる話もありましたけれども、一方地元の商店街などはどうだったのでしょうか?

 「柏崎市内には駅前を中心として、北側の半径約1キロの地域にいくつかの商店街があります。一番被害が大きかったのは東西に結んでいる商店街です。柏崎駅から約500メートル北の海側のところにあるのですが、えんま通り商店街と呼ばれています。
 えんま堂というお堂があるので、それにちなんでできたと言われる古くからの商店街なのですが、この辺りは木造家屋が多いということで、軒並み家が倒壊して仮設住宅で暮らしている人もいます。
 実際に商店街に行ってみましたけど、正直に言って人通りが少なかったです。今どういう状況かというお話を、この商店街で紳士服店を営んでいる星野 弘さんに聞きました。」

 (星野 弘さん)
 「街は全体がやはり、皆さん大なり小なり被害もありましたし、不幸にして亡くなられた方もいます。うちの町内でもたまたま信号待ちをしていた女性が、不幸なことにお亡くなりになりました。だから自分のところだけというよりも、皆さんそれぞれ大変な思いをされているわけで、自分のできることは何かという、目の前のことをコツコツまずやると。できることからまずやるということで、それしか考えられないですし、茫然自失(ぼうぜんじしつ)というのはこのことかなと。だけど、夜になって朝になるので、目の前にあることを一つひとつやるしかないというのが実感ですよね。」

 (吉川ヤス子さん)
 「過ぎてしまえば早かったかなとは思いますけれど、日々が不安の中にありますので。友達の何人かも仮設(住宅)に入っている人もいますので、これから先仮設(住宅)を出たら、どうやって生活していったらいいのだろうかと、本当に先を考えたら不安だけという感じですね。」

 「2人目の女性は主婦で、この近所にお住まいの方なのですが、この方も地震直後から炊き出しなどのボランティア活動をずっとされたということです。自分の復興以外に何か周りの方々に手助けできることはないだろうかといろんな形で街の復興にがんばっているという人です。
 お2人の話を聞いて感じたのは、やはり人によって(被災の)状況が違う。つまり復興という一言では片付けられない。何から手を付けていいのか、また何が自分にとって必要なのかということを、ようやくこの8ヶ月経って先の人生、これからどう生きていけばいいのかということが見えてきたということです。
ようやく気持ちの部分が前向きに、皆さん頑張って強くなろうという気持ちが街から出てきたのかなという思いがしました。」

 地元が本当に一丸となって、がんばり始めているという印象を受けているのですが、それに対する応援というものはあるのですか?

 「実は歌があります。復興を応援する歌。東京在住の女性シンガーソングライターのKOKIAさんが中越沖地震の被災状況を見て、思わずみんなを勇気付けたい、元気付けたいと曲を書いたのです。
 『私にできること』という曲なのですが、これが本当に、被災した皆さん、復興に取り組む皆さんの心を捉えているのですね。実際に演奏しているその曲を聞いて思わず涙ぐむという人もいるそうです。」

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