郵政民営化から2回目のお正月ということになるのですが、このごろなんとなく自宅に届く郵便物の誤配や遅配が増えているような気がします。このあいだねんきん特別便12万人分が届かなかったという話が出たばかりなのですが、この民営化でサービスが良くなると言われたのですが、実際低下しているのではないのですか?
「確かに客観的な統計でサービスが低下したかどうかということは、なかなか確認することは難しいのです。ただ私の個人的な経験とか、あるいは働く人の誇り・意欲とか、動機の観点からみてどうなっているのかを考えると、私は現在マンションの7階に住んでいるのです。
民営化してものすごく変わったことは、従来メールボックスに入らないような大型郵便はわざわざエレベータに乗って、玄関先まで届けてくれたのです」
「小包とか、ちょっと大型の郵便ですね、定形外みたいな。」
たとえば、書籍を送ってくれるとか?
「私は書籍が多いものですから、前は届けてくれたのが、そのままポンと宅配ボックスに入れられている。だから、私が取りに行かなければならないということになっているのです。
そういう意味では民営化後、確かに労働の効率は上がったと思うのですけれどもね」
なるほど。配達する側からすれば、そのぶん数多く配ることができる?
「結局なぜ労働効率が上がったかといえば、いままで郵便局の配達の人がやってくれていたサービスを、利用者が代わってやるということによって代わったということになりますね。」
実際、誤配、いままで同じ街区に住んでいる同じ名前の人でも、それは誤りなく届けてくれていたのが、このごろはまた間違っているよ、と言って近所でやり取りするようなことが増えているような気がするのですが?
「そうです。配達する人が代わってしまったのなら、それはそれなりに納得できるのでしょうが、あんまり代わってはいないですよね。ですから、おそらく何が変わったかと言えば、配達する人の働く誇りだとか、プライドだとか、あるいは意欲だとか、動機というのでしょうか、一所懸命持って行ってあげようという気持ちが、民営化によって変わってしまったのではないと思うのです」
要するに公務員ではなくて、郵便事業会社の社員という会社員になったところの差ですか?
「そうですね。そこが大きいと思いますね。今までやはり、公共サービスを自分たちは担当しているのだ、といういい意味でのプライドがあったのです。だからちょっと大変でも、利用者・国民が喜んでくれるならがんばって7階まで郵便物を届けてみよう、と。そして『ありがとう』『ご苦労さん』と言ってもらえれば、儲けにならなくても、公共サービスに従事している者として、非常に満足感を得たと思うのです。
ところが民営化になると儲けなくてはならない。『ありがとう』といわれても、金にならないことをやっていてもしょうがない。だったら宅配ボックスに入れていれば決してルール違反ではないのです。メールボックスに入らないものは宅配ボックスに入れてもいいわけですから。ルール違反じゃないのだったら、もう宅配ボックスに入れてしまえ、という気持ちが起きてきたのではないかと思います」
余裕がなくなったのですか?
「そうですね。余裕がなくなったのですね」
親切の部分をお金に換えようとしたのですか?
「ええ、いままででしたら、お金のためではなくて、親切を渡して心と心の交流を図っていたのが、お金にならないものを切ってしまうということが起きてきたのだと思いますね。それは、配達している人の責任ではないと思います。まさにそれは民営化したということによって、その人たちの気持ちを変えてしまった」
公共サービスというものとお金を天秤にかけざるを得なくなってしまった?
「そうですね。民営化というのは、手間のかかるサービスはやめようと。どういうサービスが良いかは利用者が喜んでくれているかどうかではなくて、儲かるか儲からないかで決めようと、そういう風に変わってきているのだと思います」
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