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撮影に入られたのがいつからどれくらい?
(宮崎)「2007年の10月末から2008年の8月まで、約9ヶ月、40日間くらい取材にうかがいました」
そのような施設にずっと長期で取材していくことによって、宮崎さん自身が本当はこういうことだったのだろうかと気づいていくことはたくさんありますよね。例えばどういうところであって、どのように見えてきたんですか?
(宮崎)「私が一番感じたのは、見た目的には特異的ですよ。常にこだわり行動があるわけですからね。必ず何かにこだわっているわけです。パッと見た時には、やっぱりハッとびっくりする。でも感じたのは、同じなんだなー。そりゃ、こだわりはあるけども、言葉は出ないけども、私達と変わらないなという。
やはりひとりひとり個性のある魅力的な青年だなとつくづく感じました。でも世の中は彼らを変な人としか見ないのです。変な人として見れば変な人ですよ。でもしっかり向き合った時には、そうではなくて存在感をしっかりもっている人間だな、私達と変わらないなと感じるようになった」
映画なので、ナレーションと音楽も非常に重要になりますよね。
(宮崎)「音楽に関しては、十河陽一さんですが、私の作品『風の舞』という最初の作品から、今回3本目ですが、お願いしています。クラシックが基調ということで、発達障害のある人達とクラシック音楽がどのように調和するのかなということが、1つ気がかりがありました」
いまご紹介いただいた、作曲された十河さんにもお話をうかがえるので、お話を聞こうと思うのですが、十河さんが宮崎さんからこの映像に音楽をつけてくださいと言われた時に、映像を見てどういう音楽をつけなければいけないな、つけたいと思ったのですか?
(十河)「まず一通り見ますよね。それはナレーションはないけれども、編集済みのほとんど完成に近いものを見る。まずそれはどこに何をつけようということを考えずに見ます。そこから1番大きなテーマが何なのか。それを自分なりにとらえる。何が大事かというのは、そのようなもの(映像)から自分が何を受けたかということを素直に音楽で表現することですかね」
一番始めに完成版に近い1時間半のものを見た印象はどうだったのですか?
(十河)「とにかく多くの若い人が出ている。彼らのエネルギーが、最初に見たときはそれを自分の中で受け止めるということが、こちらもエネルギーが必要で。ただ我々の仕事というのは、何度も何度も部分部分を見るわけです。何度も何度も見るうちに、やはり彼らがどんどん好きになるのですよ。うれしい時は喜び、悲しい時は泣き、そのようなものがダイレクトに伝わってくるのです。それがどんどんひとりひとりの人達が魅力的に見えてくる。それが繋がってくるのです。そうすると音楽もどんどんと変わっていく」
十河さんの方から曲をいただいて、自分の映像がこういうようになるんだという感じはありました?
(宮崎)「私も音楽に対してのイメージって心の中ではあるわけです。相手は発達障害のある人。私の中にも固定観念があるわけです。例えば、彼らの姿に合った音楽を考えた時には、私はもう少し軽い音楽、若いというか幼稚というかね。軽い音楽を想像していました。もう少し違うイメージで十河さんから音楽をいただきました。テープを何回か聞きました。『ん〜』と思ったんです。果たしてこれが合うんだろうかと思いました。
何度か聞いてくる中で、私自身の中に反省が出たんです。発達障害だから軽いとか、まだまだ私自身が越えてない部分を、音楽を通して感じたんです。そして、私はこの音楽にどのようなイメージを持ったかというと、十河さんは彼らに対して尊厳を入れてくれたんだと思いました。確かに聞いていただくと分かると思うのですが、やはり最大の、彼らを尊厳を持って音楽をつけてくれていると私は思っているのですよ。
弦楽器が中心の感じですよね?
(十河)「そうですね。弦楽合奏の形です」
それはいま宮崎さんが重いという感じをおっしゃったのですが、それはどうしてそのような曲なのですか?
(十河)「基本的には、宮崎さんのおっしゃった通り最初のあの曲はもっと軽いものをつくるというのがセオリーでした。というのは、最初に映像を見た時に、『見てね。楽しい映画だよ、いい子だよ。楽しいよ、見てね』という感じで普通だったら入っていくんです。
ただ彼らが好きになってくると、最初は実はそのような曲を書いていたんですが、どんどん好きになっていくと、『これ見なきゃいけないよ。見ろ』という感じでしたくなった。たぶん監督はこれを聞くと『この音楽は困るな』と思うかなと思いながら、とりあえず前もってつくってお送りした。そうしたら、ずっと悩んでらっしゃったけど、返ってきた答えは、先ほどおっしゃったように人間の尊厳として受け止めて」
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